あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
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「賜物」について

 最近、「自分には賜物なんてないんじゃないか」「自分の賜物ってなんだろう」と考えておられる方とのメールのやり取りを通して、ちょっと考えたので、とりとめもなく書いてみた。

基本的に、賜物を与えられていない人なんていない。一人一人、キリストの器官として何か役割を担っているのだから、一人一人、必ず賜物がある。

 ただ、わたしは、「賜物」にも色々種類があるのではないかと思う。
 例えば、わたしの友人に、独学にもかかわらず、ピアノがものすごく上手い人がいる。アレンジもピロピロやってのけてしまう。でも、以前は、楽譜がほとんど読めないと言っていた。全部「耳」で聞いて覚えたり、自分のインスピレーションでできるらしい。すごい賜物だと思う。
 また、ある友人は、絵がものすごく上手い。高校時代から美術展に入選したりして、今も絵画の制作活動をし、時々個展などやっている。
 こういう人は、本当に特別な「才能」を神様から頂いた人たちなのだろうと思う。
 でも、わたしはというと、とにかく何もかもが中途半端だ。

 ピアノ…一応神学校で習ったので、会衆賛美の奏楽は何とかできる。
でも、何でも弾けるという訳じゃないし、ワーシップとか、コンテンポラリーなものはほとんど弾けない。
 絵…実は高校は美術科だったし、漫研にいたので、ちょっとはCSの教材とかも描けるのだけど、たいしたことはない。謙遜ではなく、本当にたいしたことはない。とりあえず、ごまかしながら何とか、という感じ。アニメ調の絵が顔だけ、描けるので(^_^;)後はごまかしで書いたり、サンプルを見て何とか、という程度。考えたら、高校時代、ごまかしの訓練だけはできたかも。いずれにしても最近は描いていない…。
 歌…これは一番まともだとは思うけど、それでも、それほど専門的な教育を受けたわけではなく、レッスンを受けなくなってから久しいので、ほとんど自己流になってしまっている。
声が大きいのと、割と音程はいいほうだと思うけど…。でも、テクニックは本当に中途半端で、いつもミスばかり。
それでも、賛美は技術じゃない、と言い聞かせて(^_^;)、喜んで歌っているけど。
 日本語…これも中途半端。
勉強したくて日本語教育の資格を取ったので今、WECの宣教師の先生にお教えしているけど、毎回頼りなくて、こんなんでいいのか、といつも反省している。
 クラリネット…ただ、くわえて吹ける、というだけ(^_^;)文字通り「かじっただけ」(^◇^;)
 PC…自己流で、これも中途半端。HPを立ち上げて、すごい、とか言われてるけど、これはソフトが良いだけ。タグを貼ったりすることは一切なく、ただ、ソフトに書き込んでいくだけなのだから。
 あと、かじっただけなら英語もちょっと…。お金かけて通ったわりに、使わなくなるとどうも…きれいさっぱり忘れてしまった。新婚旅行(アメリカ・個人旅行。といっても途中からは友達〔アメリカ人と日本人の夫婦〕と合流だったけど)の時はまだ今よりましだったので少しは役に立ったけど…。
 お菓子作り…単に好きなだけ。
 「話す」ことも賜物だ、といわれたことがあるけど、単にしゃべり好きなだけじゃないかと思うし…。その意味で「交わり」は賜物かもしれないけど。
 伝道…これも、情けないことながら、こんなんで良いのか?わたしは伝道者じゃないのか?と、自問自答の日々。

 と、こんな具合に、できることは色々あるが、すべて中途半端。
それなのに、人にはよく「賜物がいっぱい」とか言われる。
 でも、わたしのは「特別な才能」じゃない。なんとなく、色んなことに興味があって首を突っ込んだり、なりゆきで勉強したりする機会があっただけだ。
 しかし、わたしにとってはこの「勉強する機会」が賜物だったのかな、と思っている。

 いずれにしても、はじめから、何かできることが「賜物」ではなくて、何かができるようになることも、もしかしたら賜物なのでは…、と思う。

 あるいは、「何かできること」が賜物ではなく、人柄や性格、その人の存在そのものが賜物、ということもできるだろう。
 今、思い出したけれど、以前、こんなことがあった。
 わたしのところに遊びに来たある姉妹が、ご自分も少しのハンディキャップを持っておられたのだけど、「♪Sunnyさんが、病気なのに機嫌よく頑張ってはるのを見ると、自分も頑張ろうって思える」と言ってくださった。わたしは何もしてないのに、わたしに励まされる、と言われる。「こりゃ病気ももしかしたらわたしの賜物かも」と思ったものだ。
 またある、伝道者の先生がご自分の娘さんの一人の性格を「たとえ紙くずでも『お土産』を貰ったら喜べる性格です」と言っておられた。もちろん褒めておられたのだ。「喜ぶ」と言うことが彼女の賜物だ、と。

 人にとってまず生命そのものが神様からの「賜物」。それだけで十分感謝できるのではないかと思う。
 その上で、もし、自分に何かできることがあるのならなお感謝、と思えばよいと思う。
 別に悩む必要はない、人は生きている限り、何かしら、まわりに影響を与えている。それが「賜物」なのではないだろうか。会社で働いておられるならそれも賜物だと思う。
 教会で、具体的に何かをすることだけに固執していると、「賜物」の本質を見失うのではないか、と心配になることがある。

 今度、「わたしの賜物は?」と考えている姉妹に言ってあげよう。
「あなた自身が賜物だよ」と。
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by s_soranotori | 2004-02-10 00:00 | 信仰・雑感