あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
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目標設定

 わたしは、子供の頃から常に「目標」を持つようにと親に言われて育った。
もちろんまだ子供だから、先になって変わるかもしれない。それでもいいから、「今の目標」を持つように、と言われた。
小学校6年の時、学年で何人かの子が私立中学を受験すると聞いた。そのとき、「自分は将来何になりたいのか。例えば医者になりたいなら大学に進まなければならない、とか、そういうことを考えて、私立に進むか公立に進むか、自分で決めなさい」と言われた。
で、どういうふうに考えたか、細かいことは忘れたけど、とにかくわたしは公立の中学に進んだ。
 それから宝塚歌劇と出会い(観るのは幼児の頃から観ていたけれど、ファンになったという意味での出会い)、宝塚歌劇を目指したけど、腰を痛めてあきらめ、新劇と出会って新劇に方向転換、女優になるなら受験戦争に巻き込まれたくないと、高校は私学に進むことに。

 そんな風に、常に目標をもって生きてきたので、いつも夢だけは持っていた。
両親はとてもよい育て方をしてくれたと思う。
その半面で、常に目標設定をして歩んできたので、一先ず目標をクリアすると、気が抜けたようになる。次の目標を見つけるまで、何をしたらよいかわからなくなって、半ば鬱状態のようになることがあった。

 今、結婚して、具体的に「○○になる」と言った目標がなくなり、時として道に迷う事がある。

幻がなければ、民はほしいままにふるまう。
しかし律法を守る者は幸いである。箴言29:18

という御言葉があるけれど、本当にヴィジョンがなければ道に迷ってしまうな、と思う事がある。
わたしは今、どんな幻を見ているのだろうか。
いや、幻(ヴィジョン)がないわけじゃない。ただ、その全体像が大きすぎて漠然としているので、ちょっと自分でもとらえどころがなくなってしまっていたりする。
まず、目の前にあること、今すべきことを自分で、はっきりとつかんでやっていかなくては、と思う。

 それはさておき、自分で子供を育てていて思うのは、やはり、自分の親が、わたしに目標意識を植え付けてくれたのはそれなりによかったのではないか、ということ。
それによって自分は常に、自分で自分の道を選択してきた(つもりだ)。もちろん、そこには神様の摂理があったのだけれど。
 もちろん、神様の御声に聞き従うことは大切なことだけど、その御心の範囲のなかで何を選択していくか、自分ではっきり選択し、責任を負っていくことのできる子供に成長して欲しい。おかあさんは助けが必要な時はいつでも手を差し出せる用意をしているから。
そんな子育てを、自分もできたらいいな、と最近思っていたりする。
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by s_soranotori | 2005-10-03 10:20 | 信仰・雑感