あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
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「ことば」について

 最近、コミュニケーションの道具としてのことばの用い方の難しさについて考えたことで、以前読んだある本に書いてあったことを思い出した。
それは、井上ひさし氏の「自家製文章読本」という本の中に書かれていたことばで、その本のおよそ結論とも言うべきところに書いてあった。易経の総論と言われる「繋辞伝」という書の中の一文だそうだ。
『書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。』
井上氏は大体次のように解説しておられたと思う(井上氏の文章を読んだわたしの解釈であることをご了承いただきたい)。
「文字はいくら詳しく書いても言葉で述べることを完璧に書き尽くすことは不可能だし、言葉はいくら頑張っても心の中に思っているところを完全に述べ尽くすことはできない。」
書いたものはいくら頑張っても話すことばに勝ることはできないし、いくら話したところで思いのすべてを伝えることはできない、ということだと思う。

 ふと中島みゆきさんが、ご本人の「全歌集」の巻頭に書いておられた文章を思い出した。
「これらの詞は、既に私のものではない。
 何故ならばその一語一語は、読まれた途端にその持つ意味がすでに読み手の解釈する、解釈できる、解釈したいetc.…意味へととって変わられるのだから。」
そこにはまた、「言葉は、危険な玩具であり、あてにならない暗号だ。」とも書かかれていた。
 人は、ことばを理解しようとするとき、それが書かれた文章であれ、歌であれ、語られたことばであれ、受け手の知識の範囲、また想像の範囲でしか理解できない。場合によっては、こうであってほしいという願望まで、その意味として取り込まれてしまうことがある。
結局、人が何かのことばを発する時、それを相手にどう理解させるかというところまで、厳密に特定することが、ことばにはできないのだ。ことばというのはそれ程、頼りないものでしかないのだ。
 にもかかわらず、今のところ、人が人に何かを伝える最も有効な手段はことばであると私は思う。ことばだけが伝達の手段ではないにしてもことばには確かに力があると思う。
 しかしまた、ことばが完璧なものではないからこそ、人間関係は面白く、人と人は解り合おうとするのではないかとも思う。極端に言えば“ことばは万能ではない”ということをふまえてこそ、なお、解り合おうという気持ちが育つのではないだろうか。
 確かに、話したってどうせわからないということも沢山あるだろう。しかしだからこそもっと解ろうとしたいと、わたしは思う。
時に、ことばは自分が思っている以上の力を発揮するこことだってあるのだから。
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by s_soranotori | 2003-12-08 00:00 | 雑感