あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

雅子妃とわたし

 タイトルを見て、なんのこっちゃい、と思われただろうか。
 最初に申し上げておくが、わたしは、決して天皇崇拝者ではない。取り立てて皇室好きでもない。
 我が家では、普段、雅子さん、愛子さんと、さん付けで呼ばせてもらっているが、ここにそう書くと、「どこの雅子さん、愛子さん?」ということになりそうなので、あえて「雅子妃、愛子様」という表現を使うことにする。
 ただ、雅子妃のことは、結婚された当初からなんとなく気になった。
年齢が近かったせいもあるだろうか。
 しかも、出産が一週間違い。
わたしが「妊娠したかな?」と思っている頃、ちょうど雅子妃も「御懐妊の兆し」という報道の真っ最中。わたしが病院で妊娠を確認して、初めて我が子をエコーを見せてもらってきた日、雅子妃の正式な御懐妊報道がニュースで流れた。
それ以来、特に雅子妃のことが身近に感じられるようになった。

 その雅子妃が、最近ご静養中だということだ。
病状について、色々な噂が乱れ飛んでいるようだ。
銀行でチラリと見た週刊誌に乗っていたこと、また、母など、人から又聞きしたこと、合わせて色々、わたしなりに思うことがある。

 わたしにはなんとなく、雅子妃の辛さがわかるような気がする。
もちろん、あくまでも想像の域を出ないのだけど。
 ある、信仰の先輩に「雅子妃の辛さがわかるような気がするんです」と話したら、「わたしも(あなたと)似てると思っていたのよ」と言われた。
 年齢は確か、雅子妃のほうが一つお若いのではないかと思う。
雅子妃は、バリバリのキャリアウーマンだった。学歴も申し分なく、海外生活も豊富、そして外交官として、やりがいのある仕事に就いておられた。
おそらく、結婚された時には、「日本の代表として、別の形で外交に貢献できる」との思いを持っておられたのだろうと思う。よく「皇室外交」という言葉も使われることだし。
 しかし、ご結婚されてからは、海外に行く機会もほとんどなく、子供を産むまでは「子供、子供」と言われ、いざ産んでみると今度は「お世継ぎ問題」と取り沙汰され、どこに行ってもプライバシーはなく、きっと心は、虚しさで一杯だったのではないだろか。

 そりゃ、こうして書いてみたら、わたしとは雲泥の差だということは重々わかる。わたしなんか学歴もないし、プライバシーも侵害されているわけじゃないし、お世継ぎのプレッシャーもない。
 ただね、仕事の面で、なんかすこーし、気持ちがわかるような気がするのだ。
 わたしは、結婚するまで、神学校と宣教事務局で働いていた。
小さな群れだったけど、その群れにおいては、交わりの中心部分で働いていたことになる。
 宣教に出かけているあちこちの友を訪ねて、国内だけでなく海外にも出かけ、励ましたり励まされたり、知り合いもあちこちに多かった。
 でも、わたし自身は、事務所の中で神様に仕えるのではなく、教会で神様に仕えたい、という思いがずっとあった。
 伴侶が与えられた時、それが牧師になる人だとわかった時、わたしは、教会で思う存分神様のために働けると思った。色んなことができると思った。
そう、いま自分がしているよりもっともっと多くのことができると思っていたのだ。
 でも、結婚してみたら、思っていたようなことは何一つできない。
夫が牧師に就任したと同時に妊娠、出産。
小さな子供をかかえている上に病気持ちの牧師夫人に、教会も気を遣ってくださり、わたしには負担をかけないよう、配慮してくださる。
 前出の先輩婦人の言葉を借りれば「お手ふり状態」
雅子妃や愛子様が窓から手を振って笑顔で人々に応えられるのがお仕事のように、わたしも同じだということだ。もちろん、先輩婦人は嫌味でそういうことを言われたのではない。それしかできない現状をよく理解して言ってくださったのだ。
 周りの皆さんは「カウンセリングで忙しいでしょう」「教会の仕事で忙しいでしょう」と言ってくださるけど、実際のところ、わたしは何をしているのか?
周りの友人たちを見ると、もっと色んなことをしているように見える。わたしはといえば、チラシを作ったり手紙を書いたり、お菓子を作ったり。ほとんど好きでしていることばかり。
わたしが思い描いていた働きとは随分違う…。
 もちろん、わたしは「教会が奉仕をさせてくれない」と不満を言っている訳ではない。
それしかできないわたしに、文句も言わないで忍耐してくださっている教会の皆さんに、むしろ感謝している。
 ただ、わたしが言いたいのは、雅子妃もわたしも、現実は、自分の思い描いていた生活とは随分違う、ということ。

 ただ感謝なことに、わたしは、今、子育てをすること、そして人の目に小さいと見える働きも、神様がゆだねてくださった大切な働きであるということを知っている。
わたしが何をするかではなく、わたし自身の存在を、神様がきっと用いてくださると信じることができる。
 元々、わたしなんてちっぽけな存在だ。神様の目から見たら無にも等しい。そんなわたしが大した働きなどできるはずはないのだ(決して悲観主義で言っているのではない)。
 そのわたしを、「高価で尊い」と言ってくださる神様を知っていることはなんという恵みだろうか。
わたしにはわたしにしかできないことがある、と信じることができるのはなんと幸いなことだろうか。

 雅子妃は、今まで皇室に入られた一般人の方とは違う。昔風の言い方をすれば自覚を持った職業婦人だった。それなりに自立した女性であったと思う。それだけに、皇室という特別な世界にご自分を馴染ませるのに無理をしなければならない面が多々あったのかもしれない。
 願わくば、雅子妃が、ご自身の価値をもう一度再確認できますように。
 ご自身も神様に愛されていることを、お知りになることができますように。
 皇室の人々にも、どうか福音を信じるチャンスが与えられますように…。
[PR]
by s_soranotori | 2004-04-10 00:00 | 雑感