神方噺(福音落語)

 父は昨年末、新しい福音落語を自分で創作した。
この福音落語、グイドが「神方(かみがた)噺」と命名した。
実は、「ゴスペル落語」と言う名前では、未信者の落語家さんがすでに何本か創作落語を演じておられる。わたしはその中の1本のテープをいただいて聞いたけれど、落語としてのできはともかく、「ゴスペル」と名付けるのは、ちょっと…と思う内容であった。
しかし、上方落語会では超有名なその一門の方がとにもかくにも「ゴスペル落語」と言って口演しておられるのだから、それはそれで仕方がない。しかし、であればこそ、わたしが作ったものや、父が作ったものを安直に「ゴスペル落語」とは呼びたくないという気持ちもあった。
そこへ、グイドが「『神方噺』はどう?」と言ってくれて、なかなかいいアイディアではないかと思った。父にはまだ意向を聞いていないけれど、今後、第3作、4作ができるかどうかはわからないけれど、とりあえず「神方噺」いいんじゃないかな?
 わたしが作った第1作「教会根問(ねどい)」は、今後姉が引き継いでくれることになっている。孫弟子の○ちゃんもやる気まんまんだ。
そこで、姉が、昨日、台本を少し手直ししてメールで送ってくれた。
実は、わたしが突貫工事で作ったために、少々手抜きをした部分を姉が目ざとく気付いたほか、イエス・キリストを信じてはいるものの、家庭の事情で教会からは少し離れたところにいる姉から見て、未信者にもよりわかりやすくなるようにと配慮してくれた。
修正箇所はわずかなのだけど、そのわずかが結構効いているように思う。
 改めて読み返してみると「教会根問」は福音そのもの、まるで伝道メッセージのようなネタだと思う。
落語が仏教の説法から始まったと言う原点に帰ったようなものか。
正直に言うと、父が演じていたのはわたしが書いた落語の半分ぐらいだったのではないかと思う。
そのかわり父が演じると、わたしが書いた何倍も面白いし説得力もあったと思うが、作者として伝えたいことの全てが伝わらないもどかしさがあった。
もちろん、「落語」なのだから面白くなくては意味がないし、そこに父がやる値打ちがあったと思うので、それはそれで満足していた。
極端に言えば「露の五郎兵衛が福音落語を語る」と言うだけでも証し的な価値はあると私は思っていた。
でも、その父がさらに一歩進んで新ネタを作ってくれ、「教会根問」が若手に引き継がれたことには意味があると思う。
きっと、父とは一味違う「教会根問」が聞けるだろうと楽しみにしている。

 父のこんどの創作落語は人情噺。
神様の名前や説明的なことは一切出てこない。
ただ、聖書中の有名なエピソードを人情噺にしたもの。
 それは、言ってみれば三浦綾子さんの小説のようなものだと思っている(例えば「氷点」など)。
知らない人、クリスチャン以外の人が読んだら(聞いたら)、すぐに聖書の真理を語っているとは気付かないかもしれない。けれどもそこには確かに神様のこと、聖書の真理が語られている。
知らず知らずのうちに、人は聖書のお話を聞いていることになる訳だ。
 まだ完成、というのは早い感があるが、完成するのが楽しみな話だ。
そして、「神方噺」これからも大いに用いられますように。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコンby s_soranotori | 2006-01-14 21:59 | 信仰・雑感

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