あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
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エンジョイしよう!

 前にもどこかに書いた気がするのだけれど…。
謙遜とか、神様に仕えるとか、そういうこと…、育児をしながらいろいろ考える。

 エル(娘)はわたしが台所に立っていると「わたしもおてつだいするわ」と言っていそいそとエプロンをしてやってくる。
わたしはいつも時間に追われて家事をやっているので、正直に言えば「こんとって!(来ないで)」と思うことが多い。来ても足手まといになるばかり。
でも、せっかくの「お手伝いしよう」と言う気持ちを尊重したいと思って、「じゃあお母さんがやって、っていうことだけやってね」と言うのだけれど、結局はあれこれやりたがる。
で、少しやらせてみるのだけれど、絶対と言っていいほど上手く行かない。
失敗してはシッチャカメッチャカになり、わたしがぶちきれて「もうー!あっちいっててー!!」となる。
そして怒ってから、あとで反省(後悔)する。せっかく手伝ってくれていたのに…。

 たまにはエルとクッキングを楽しむ時間を作らなくちゃ、と思う。

 それはさておき、神様とわたしたちの関係も同じようなものだといつも思う。
神様は、わたしたちの助けが必要なのか?
答えは否。神様はぜったいに一人で全部やったほうが速いし上手くいく。
それなのに、あえてわたしたちに色んなことを任せてくださる。
 だったらわたしたちはそれを喜び楽しまなくちゃ、って思う。
台所に立ったわたしは一人でやったほうが速やかに、上手く事が運ぶ。
それでも、子供が喜んで、楽しみにしているなら一緒にやろう、って思う。
だからわたしも、子供が、お母さんやお父さんのお手伝いを喜んでいるように、神様のお手伝い(足手まとい?)を喜んでやろう。

 それと、昨日、日記の方に「大きなうねりの中にいて愕然とする事がある」と書いたけれど、それは、有名なクリスチャンと出会ったり、たくさんの人の前で歌ったり語ったり、キリスト教番組に出たりするからではない、と言うことを補足しておきたい。
 神様の前に大きな働きも小さな働きもない、と思う。
100人の前に遣わされるのも1人の前に遣わされるのも神様の目には同じ事だと思う。
大きな集会やTVの前で語るから大きなうねりの中にいるのじゃない。
1人の人に伝えるところから大きなうねりは始まっている。

 そう…もう何年前になるだろうか。
演劇関係の先輩から「(演劇を通して)もっと、とてつもなく大きなことができると思っていたんだよ(けれどもそうではなかった)」という言葉を聞いた。多分もう15年近く前…。
その時わたしは何も答えられなかったけれど、あとで手紙を書いた。
「わたしはすでにとてつもなく大きな働きの中にいるのかもしれません」と。
そう、もうずっと以前から、わたしは神様のプロジェクトの中にいたのだ。
このプロジェクトは世界を動かすプロジェクト。
とてつもなく大きなプロジェクト。
 わたしも、そして多くの先輩や友人もすでにその中にいる。
日本で、中国で、タイで、ウクライナで、ペルーで、インドネシアで、セネガルで…世界の各地で…。
皆この大きなプロジェクトの中にいる。皆大きなうねりの中にいる。
それぞれが前に置かれた働きに精一杯取り組んでいる。

 もっと必死にならないといけないのかな?
確かにパウロは「奮闘している」って表現を使っていた。
だけど、やっぱり、最初に書いたように、わたしはこの働きを、喜び楽しんでできたら良いな、と思う。
何をやったって下手くそに決まってる。上手く行かないに決まっている。みんな初めはそんなものだ。
でも、それを喜んで、へこたれないで、やり続けるなら少しずつでも上手になるし、それで周りの人も喜んでくれたり助かったりするようになることもあるだろう。
何よりも神様が喜んでくださるだろう。
 昨日も書いたけれど、「自分の中に何一つとして良いものがない」と言うのは本当の謙遜ではないと思う。確かに、罪はあるし、ではどんな良いものがあるのか、と聞かれると真直ぐに差し出せるものがあるという自信はないけれど、素晴らしい神様がわたしを作ってくださった。神様には失敗作はない。
 もっと神様を信じて、もっと喜んで、わたしはわたしの人生をエンジョイしよう!
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by s_soranotori | 2006-10-05 15:42 | 信仰・雑感