あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
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基本

 「簡単」ってすごいことだと思う。

 わたしはケーキ作りが好きだ。
もちろん食べることも。
中でも、シンプルな焼きっぱなしのケーキが、作るのも食べるのも好きだ。
そんなシンプルなケーキを焼いていてふと思ったこと…。

 学生時代、飲食店でアルバイトをしていた事がある。
そこの板前さんが、フランス料理だったかな?その勉強が「プレーンオムレツに始まってプレーンオムレツに終わる」って言っておられた記憶がある。
「プレーンオムレツなんて、何にも入っていないオムレツでしょ?」
と思う。でも、シンプルだからこそ、簡単だからこそ難しいのだと言っておられた。

 ケーキ作りも、基本のスポンジケーキは簡単。
だからこそ極めるのは難しい。
手作りのものは1回1回、デキが違う。
その日の気温によってオーブンでの焼け具合も微妙に変わる。
プロじゃないから、わたしはそこまでこだわっている訳じゃないけれど、プロの方は、毎回ベスト(ベターじゃなく)に仕上げるのはとてもデリケートな作業なんだろうと思う。

 ふとナアマンの話を思い出した。(聖書・列王記第二5章)
アラムのナアマンと言う将軍は、ツァラアト(皮膚病の一種で当時は不治の病だった)になったとき、イスラエルに病を癒すことのできる預言者がいると聞いて、はるばる、高価な金銀を携えて訪ねていった。
ナアマンがたずねて行くと、出てきた弟子に「ヨルダン川で七回身をきよめなさい」と言われた。
高名な預言者が、さぞかし大層に手を置いて癒してくれるだろうと期待していたナアマンは期待が外れて怒って帰ろうとする。
しかし、彼のしもべが言う。
「ナアマン将軍、あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
ナアマンはヨルダン川で七回身をきよめ、癒された。
簡単なことを命令されて怒ったナアマン。
でも、そこに彼の癒しの道があった。

 人は、難しいことが素晴らしいことだと思う。
でも、簡単なところに、素晴らしさがある。
人が、「簡単だ」と思って軽く見てしまうところに奥義がある。

 昔、親戚の家によくケーキを焼いていった。
子供さんが好きなので作り方を教えて欲しいといわれたので、分量と作り方を書いて渡した。
それからしばらくして、「Sちゃんが作ったのは(子供が)よく食べるのにわたしが作ったのは食べてくれないのよ」と叔母が言った。
よく聞いてみると、自分流にアレンジして作ったと言う。
叔母は、料理学校のアシスタントをしていたこともある人で、料理には自信があったようだ。
こうしたほうがもっとおいしい、と思って手を加えられたのだろう。

 わたしは、特別にケーキ作りが上手い訳ではないけれど、しょっちゅう作っているせいか、時々人に「教えてください」と言われる。
その時に、お伝えするのは、
「最初はレシピどおりに、(本に)書いてある通りに作ってください」ということ。
レシピを見ただけで、味がわかるようになるのはプロの域。
作ったことがないものは、まず、基本に忠実に作ってみて、基本を味わって、そこから学ぶことが大切。
お菓子のレシピには、それなりに意味がある。
お砂糖には増粘作用があるので、玉子などを泡立てたときにきめ細かに、また安定させる作用がある。それだけでなく、しっとり感や舌触りとの関係がある。甘いからと言ってお砂糖を減らせば良い訳ではない。また、塩には塩の、バターにはバターの役割がある。
長年かけて作り上げられたレシピにはそれなりの経験と知恵が詰め込まれている。
だから、レシピを守ることは、それはレシピを作った人への礼儀でもあると、わたしは思う。
とは言え、家庭で作るものはプロが作るのとは違うよさがある。好みもあるので、慣れればアレンジすることも悪くはないと思う。
ただ、基本はきちんと身につけておきたいものだと思う。

 絵の勉強をした人なら、デッサンの大切さを知っているだろう。
カッコイイからといって、いきなりピカソのような絵を描こうとする人がいるけれど、有名なピカソの絵は、緻密なデッサンの時代を経て、描かれたものだということを、少しでも絵に造詣のある人なら誰でも知っている。

 落語でも、前座なのにいきなり真打のネタをやる人がいるらしい。
しかし、前座ネタには前座ネタの意味があり、そこに落語の基礎が凝縮されていたりする。
また、「古典は面白くない」と新作ばかりやりたがる人がいるらしいけれど、それは古典の面白さを理解していないからだし、落語の基礎ができていないために、本来面白いネタを面白くできない、つまり実力がない、と言う場合も往々にしてあるようだ。
もちろん、確かに文化的背景の違いで、古典落語の言葉が理解しにくいなどの問題はあるのだけれど。

 基本は、あまり面白いものではない。
簡単で馬鹿らしいとさえ思われる事がある。
しかし、それができているかどうかによって、後々の成果が大きく変わってくる。
それはスポーツでも芸術でも、どんな世界でも同じなのではないだろうか。

 先般、ハーベスト・タイムに出演した時、中川先生が「牧師たちに言いたいことは」と聞かれたときに父は、「世の牧師たちは、簡単なことをことさらに難しく言う」と答えた。
難しく語ったほうが、ありがたいこと、素晴らしいことのように感じるからかもしれない。
聞いたほうも、案外難しい言葉で語られる言葉に満足感を覚えるのかもしれない。
でも、実は救いの道はとてもシンプル。
簡単。そこに奥義がある。
必要なことは「福音を信じること」だけ。
でも、人はついついそこに何かを付け加えたがる。
行いや、理屈を。
ケーキをついついクリームや果物で飾り立てるように…。
焼いた肉に、複雑な味のソースをかけるように。
多くの人は、簡単なことを命じられて怒って帰ろうとしたナアマンのように、「信じるだけ」と言う簡単なことができないで、教会を去っていく…。
でも、シンプルに、福音を味わうこと。
そこにクリスチャン生活の奥義があるように思う。

 基本は簡単、でも奥が深い。
簡単だから難しい。
だからこそ基本に忠実でありたい。
物事が複雑でややこしくなる時、このシンプルな基本に戻ることを忘れないでいたい…と、最近つくづく思わされている。
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by s_soranotori | 2006-10-25 14:49 | 信仰・雑感