あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
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なりたい夢となれる夢


 昔、中島みゆきの「あわせ鏡」という歌の中に出てきた言葉、
   「なりたい夢となれる夢とが本当はちがうことくらい
    わかってるから鏡みるとき芝居してるのよ」
「なりたい夢となれる夢」その言葉が心に残っていた。

 単なるあきらめということではなく、人にはやはり、ふさわしい歩みや可能な歩みと言うものがある。
極端にいえば、わたしが今からディズニーのプリンセスものに出てくるような「お姫様」になりたいと言っても無理な話。
「願っていれば、祈っていれば、すべては可能になる」と思いたいけれど、現実はそうではない。

 わたしはつい、周りを見て、「ああもなりたい、こうもなりたい」と願ってはそうなれないことに落ち込んでしまう。

 そうではなく、神様がわたしに望んでおられることは何なのか、わたしの「なれる夢」「なるべき夢」は何なのか、と思う。

 わたしの居場所は神様のそば。それは分かっているけれど、この社会の中ではどこにいれば良いのか、時として見失ってしまうことがある。
そんなとき、周りを見ないで、静まって、神様と向き合おう。
 わたしは、学歴もない、特別な教育も受けてはいない。知らないこと、できないことだらけだ。
それでも、神様がわたしに与えて下さったものは「充分」なのだ。わたしは十分に充たされているのだ。
そしてそんなわたしを、神様は用いてくださる。

 人前で歌ったり、語ったりした後に限って、コンプレックスにさいなまれ、荒野に退いてしまいたくなる。ちょうど450人のバアルの預言者と対決した後のエリヤのように(もちろんわたしはそんなに大きな器ではないが)。
心弱くなったわたしは、すべてのことから逃げ出してしまいたくなる。
他のすべての人が偉大に見える。
自分は小さくなんの力もない人間に思えてくる。
 けれどもそんなわたしを、主は細き御声をもって再び呼び出される。
主はいったいわたしが何者だというので、わたしを顧みてくださるのでしょう。

 神様を仰ぎ見、信頼するとき、「なれる夢」いや、「ならせてくださる夢」が「なりたい夢」になる。
わたしの願うところではなく、主の御心のままに、と。

 人を見ないで、神を見ることはわたしにとって簡単なことではない。
元来わたしは人に褒められたい、自己表現欲求、自己実現欲求の非常に強い人間だ。
そうして、周りの人を見て、自分にないものを求めて、自分にできないことを追って、落ち込んで弱り果てる。
だからこそ、神様はわたしにすべてをささげるようにと導いておられる。
すべてを明け渡した時に、見えてくるものがあるよ、と。

 主よ、わたしは心の貧しい者です。
 主よ、わたしは愚かな者です。
 それでも、あなたの前に、よりよきものとなりたいのです。
 あなたの御心を、わたしの「夢(Vision)」として下さい。
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by s_soranotori | 2007-07-05 13:50 | 信仰・雑感