あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
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「死」と向き合う

 友人がブログで「健康であること」とても感謝していました。「健康であることは一番幸せだ」と。
では、健康でない人、持病やチャレンジ(障害)をもっている人が幸せでないのか、というのは愚問。彼女が言いたいのはそういうことではなく、彼女は3年前に死ぬほどの大病をした、その経験の中から、現在本当に健康と言える状態に回復したことを実感として「幸せだ」と表現したのだと思います。

 また今年も、誕生日が近付いています。
ホスピスで有名な柏木哲夫先生が「誕生日には『死』について考えなさい」と言っておられたのを思い出します。最近も「死」と向き合う出来事があって、「生かされている」ということへの感謝を改めて感じましたし、「だからこそ、生かされている間、精一杯生きよう」との思いも新たにしました。

 「歌声ペトラ南近江」の立ち上げは、わたしにとって大いに体験的な学びの時となりました。
 先日、友人のコメントへのレスにも書きましたが、わたしは、神様の歯車の一つに過ぎませんでした。誰の力でもない、神様の時に「カチッ」という音がして歯車がかみ合い、すべてが回り始めた、そんな感じでした。
「神様の時、神様の御業」だったのです。
 わたし自身の結婚についても、ちょうどそのような摂理があったと、いつも思い返します。
 先日、ある方と話をしていて、いくつかの出来事に話が及んだとき、その姉妹が「わたしが○○こう進言したました」「わたしは△△先生にこうお願いしました」と何度となく言われたのが気になりました。
その方は、「自分が言ったから実現した」とおっしゃるつもりはなかったと思いますが、自分がそれらの出来事の実現にかかわったことを主張したいのだな、と感じました。
もちろん、その方の言葉や祈りが何の影響もなかったとは思いませんが、その時話したいくつかの出来事は、その方の言葉だけで動くような事柄ではなかったと思います。
その背後にはもっと大きな神様の摂理があったと思います。
今回のわたしと同じように、その方もきっとその時、神様の歯車の一つだったのでしょう。

 今、わたし達にはいろいろと思うことがあります。
本当に多くのことを思います。例えばエルの進路一つにとっても、それはエル自身の考えることだと思いつつ、「ああもなって欲しい、こうもなって欲しい」と様々に考えてしまいます。
けれども、その背後にもきっと神様の摂理が働いて下さることと思います。
きっとエルの人生にも歯車が「カチッ」とかみ合う時が来るのだろう、と思うのです。
 またわたし達自身についてもそうです。
自分から何かを動かそうと思わなくても、「その時」が来れば、歯車が回りだす…そんなふうに思えるようになりました。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
エレミヤ29章11節


あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
詩篇27編5節


神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
伝道者の書3章11節


 好きな聖書の言葉はたくさんありますが、中でも、今までに何度となく支えられてきた御言葉です。
わたしは神様のされることのすべてを知ることはできませんが、わたしの主であるイエス・キリストは、すべてのことを最善に導いて下さると信頼しています。
今までもそうして下さいましたし、これからもそうして下さるでしょう。

 そう思いつつも、たびたび思い煩ってしまう愚かな者です。

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
マタイの福音書6章34節


 神様の御言葉はいつも真実であることを感謝します。
だから、わたしは生かされている間、ベストを尽くして生きていきたいと思います。
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by s_soranotori | 2007-09-08 03:31 | 信仰・雑感