つぶやき
2008年 10月 18日
ここは、たぶんメインの日記ブログに比べると読んで下さっている方は少ないと思うので…敢えてここに。
ただ、自分のために書くつぶやきです。
わたしは自分で「信仰が足りないなあ」と思うことがあります。
結構色んなことをすぐに諦めてしまうのです。
あるいは、「今は時ではない」と考えてしまいます。
この頃、周りを見回して、「羨ましいなあ」と思うことがあります。
独身で若い伝道者の女性。
音楽もできて、英語も堪能で、バリバリ用いられています。
あるいは、独身の友人たち。
それなりに趣味を大事にして、自分の生活をenjoyして、楽しそうにやっています。
正直、「羨ましいなあ」と思ってしまうことはあります。
でも、わたしもよく考えたら、かつてはそういう時代があったのだな、と思うのです。
英語や日本語教育の学校に行くちょっとした蓄えもあって、豪華なツアー旅行は行けなかったけど、宣教師の友人を訪ねて海外にも行ったし、様々なところで神様の御用をしていました。
今は、家庭があって、限られた範囲での活動です。
独身の時に比べたら経済的にも厳しくて、習い事のひとつもできません。
でも今は、神様はわたしに家庭をゆだねて下さっている、と受け止めています。
夫を助け子供を育てる仕事をゆだねて下さっていると。
そして、そこには、わたしだけの幸があります。
それでも、わたしは結婚して育児をしている割には、色んなところへ出かけている方ですし、色んなところで神様の御用もさせていただいている方だと思います。
もっともっと…欲を出せばきりがありません。
今は、目の前に置かれていることにベストを尽くしていこうと思います。
自分のしたいこと、思いも、今は神様におゆだねしています。
「したい、したい」と思っていると、「できない」という状況に心が浸食されて、人を羨んだり妬んだりする心がわたしの中に芽生えてきてしまうので…。
そんな自分を嫌いになりたくない、と思っていた時、フッと、神様にゆだねることができ、心が静かになりました。
人には諦めているように見えるかもしれませんが、わたしの中ではそうではなく、「できる時にはできる、できないときにはできない」そんな思いがあります。
今は、神様の歩ませて下さる道を一歩一歩、歩いていこうと思います。
いつか、神様が奇蹟の扉を開いて下さることを信じて…。
ただ、自分のために書くつぶやきです。
わたしは自分で「信仰が足りないなあ」と思うことがあります。
結構色んなことをすぐに諦めてしまうのです。
あるいは、「今は時ではない」と考えてしまいます。
この頃、周りを見回して、「羨ましいなあ」と思うことがあります。
独身で若い伝道者の女性。
音楽もできて、英語も堪能で、バリバリ用いられています。
あるいは、独身の友人たち。
それなりに趣味を大事にして、自分の生活をenjoyして、楽しそうにやっています。
正直、「羨ましいなあ」と思ってしまうことはあります。
でも、わたしもよく考えたら、かつてはそういう時代があったのだな、と思うのです。
英語や日本語教育の学校に行くちょっとした蓄えもあって、豪華なツアー旅行は行けなかったけど、宣教師の友人を訪ねて海外にも行ったし、様々なところで神様の御用をしていました。
今は、家庭があって、限られた範囲での活動です。
独身の時に比べたら経済的にも厳しくて、習い事のひとつもできません。
でも今は、神様はわたしに家庭をゆだねて下さっている、と受け止めています。
夫を助け子供を育てる仕事をゆだねて下さっていると。
そして、そこには、わたしだけの幸があります。
それでも、わたしは結婚して育児をしている割には、色んなところへ出かけている方ですし、色んなところで神様の御用もさせていただいている方だと思います。
もっともっと…欲を出せばきりがありません。
今は、目の前に置かれていることにベストを尽くしていこうと思います。
自分のしたいこと、思いも、今は神様におゆだねしています。
「したい、したい」と思っていると、「できない」という状況に心が浸食されて、人を羨んだり妬んだりする心がわたしの中に芽生えてきてしまうので…。
そんな自分を嫌いになりたくない、と思っていた時、フッと、神様にゆだねることができ、心が静かになりました。
人には諦めているように見えるかもしれませんが、わたしの中ではそうではなく、「できる時にはできる、できないときにはできない」そんな思いがあります。
今は、神様の歩ませて下さる道を一歩一歩、歩いていこうと思います。
いつか、神様が奇蹟の扉を開いて下さることを信じて…。
by s_soranotori
| 2008-10-18 02:09
| 信仰・雑感