あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

カテゴリ:信仰・雑感( 23 )

目標設定

 わたしは、子供の頃から常に「目標」を持つようにと親に言われて育った。
もちろんまだ子供だから、先になって変わるかもしれない。それでもいいから、「今の目標」を持つように、と言われた。
小学校6年の時、学年で何人かの子が私立中学を受験すると聞いた。そのとき、「自分は将来何になりたいのか。例えば医者になりたいなら大学に進まなければならない、とか、そういうことを考えて、私立に進むか公立に進むか、自分で決めなさい」と言われた。
で、どういうふうに考えたか、細かいことは忘れたけど、とにかくわたしは公立の中学に進んだ。
 それから宝塚歌劇と出会い(観るのは幼児の頃から観ていたけれど、ファンになったという意味での出会い)、宝塚歌劇を目指したけど、腰を痛めてあきらめ、新劇と出会って新劇に方向転換、女優になるなら受験戦争に巻き込まれたくないと、高校は私学に進むことに。

 そんな風に、常に目標をもって生きてきたので、いつも夢だけは持っていた。
両親はとてもよい育て方をしてくれたと思う。
その半面で、常に目標設定をして歩んできたので、一先ず目標をクリアすると、気が抜けたようになる。次の目標を見つけるまで、何をしたらよいかわからなくなって、半ば鬱状態のようになることがあった。

 今、結婚して、具体的に「○○になる」と言った目標がなくなり、時として道に迷う事がある。

幻がなければ、民はほしいままにふるまう。
しかし律法を守る者は幸いである。箴言29:18

という御言葉があるけれど、本当にヴィジョンがなければ道に迷ってしまうな、と思う事がある。
わたしは今、どんな幻を見ているのだろうか。
いや、幻(ヴィジョン)がないわけじゃない。ただ、その全体像が大きすぎて漠然としているので、ちょっと自分でもとらえどころがなくなってしまっていたりする。
まず、目の前にあること、今すべきことを自分で、はっきりとつかんでやっていかなくては、と思う。

 それはさておき、自分で子供を育てていて思うのは、やはり、自分の親が、わたしに目標意識を植え付けてくれたのはそれなりによかったのではないか、ということ。
それによって自分は常に、自分で自分の道を選択してきた(つもりだ)。もちろん、そこには神様の摂理があったのだけれど。
 もちろん、神様の御声に聞き従うことは大切なことだけど、その御心の範囲のなかで何を選択していくか、自分ではっきり選択し、責任を負っていくことのできる子供に成長して欲しい。おかあさんは助けが必要な時はいつでも手を差し出せる用意をしているから。
そんな子育てを、自分もできたらいいな、と最近思っていたりする。
[PR]
by s_soranotori | 2005-10-03 10:20 | 信仰・雑感

聞くこと、見ること

 わたしの友人は、世的にはとてもいい仕事についていた。
しかし、神様から、宣教師になるように語られていた。
でも、彼は拒み続けていた。
そんな中で、突発性難聴という病を与えられた。
「聞こえなくなる」と言う恐怖の中で、ようやく、彼は神様の言葉に耳を傾けることができた。
彼は、伴侶も与えられ、もうすぐカンボジアに宣教師として向かう。

 見えないこと、聞こえないこと、よりも、見ようとしない、聞こうとしないことが
問題なのかもしれない。


人がもし、何かを知っていると思ったら、
その人はまだ知らなければならないほどのことも
知ってはいないのです。
1コリント8: 2

 わたしは、まだ、知らなければならないことのごくわずかしか知らない。
見えていると思っていても見てはいない。
聞こえていると思っていても聞いてはいない。
そんなわたしに、神様は、今日も忍耐してくださっている…。

 どうか、わたしの心の目と耳が開かれますように…。
[PR]
by s_soranotori | 2005-07-06 21:49 | 信仰・雑感

「賜物」について

 最近、「自分には賜物なんてないんじゃないか」「自分の賜物ってなんだろう」と考えておられる方とのメールのやり取りを通して、ちょっと考えたので、とりとめもなく書いてみた。

基本的に、賜物を与えられていない人なんていない。一人一人、キリストの器官として何か役割を担っているのだから、一人一人、必ず賜物がある。

 ただ、わたしは、「賜物」にも色々種類があるのではないかと思う。
 例えば、わたしの友人に、独学にもかかわらず、ピアノがものすごく上手い人がいる。アレンジもピロピロやってのけてしまう。でも、以前は、楽譜がほとんど読めないと言っていた。全部「耳」で聞いて覚えたり、自分のインスピレーションでできるらしい。すごい賜物だと思う。
 また、ある友人は、絵がものすごく上手い。高校時代から美術展に入選したりして、今も絵画の制作活動をし、時々個展などやっている。
 こういう人は、本当に特別な「才能」を神様から頂いた人たちなのだろうと思う。
 でも、わたしはというと、とにかく何もかもが中途半端だ。

 ピアノ…一応神学校で習ったので、会衆賛美の奏楽は何とかできる。
でも、何でも弾けるという訳じゃないし、ワーシップとか、コンテンポラリーなものはほとんど弾けない。
 絵…実は高校は美術科だったし、漫研にいたので、ちょっとはCSの教材とかも描けるのだけど、たいしたことはない。謙遜ではなく、本当にたいしたことはない。とりあえず、ごまかしながら何とか、という感じ。アニメ調の絵が顔だけ、描けるので(^_^;)後はごまかしで書いたり、サンプルを見て何とか、という程度。考えたら、高校時代、ごまかしの訓練だけはできたかも。いずれにしても最近は描いていない…。
 歌…これは一番まともだとは思うけど、それでも、それほど専門的な教育を受けたわけではなく、レッスンを受けなくなってから久しいので、ほとんど自己流になってしまっている。
声が大きいのと、割と音程はいいほうだと思うけど…。でも、テクニックは本当に中途半端で、いつもミスばかり。
それでも、賛美は技術じゃない、と言い聞かせて(^_^;)、喜んで歌っているけど。
 日本語…これも中途半端。
勉強したくて日本語教育の資格を取ったので今、WECの宣教師の先生にお教えしているけど、毎回頼りなくて、こんなんでいいのか、といつも反省している。
 クラリネット…ただ、くわえて吹ける、というだけ(^_^;)文字通り「かじっただけ」(^◇^;)
 PC…自己流で、これも中途半端。HPを立ち上げて、すごい、とか言われてるけど、これはソフトが良いだけ。タグを貼ったりすることは一切なく、ただ、ソフトに書き込んでいくだけなのだから。
 あと、かじっただけなら英語もちょっと…。お金かけて通ったわりに、使わなくなるとどうも…きれいさっぱり忘れてしまった。新婚旅行(アメリカ・個人旅行。といっても途中からは友達〔アメリカ人と日本人の夫婦〕と合流だったけど)の時はまだ今よりましだったので少しは役に立ったけど…。
 お菓子作り…単に好きなだけ。
 「話す」ことも賜物だ、といわれたことがあるけど、単にしゃべり好きなだけじゃないかと思うし…。その意味で「交わり」は賜物かもしれないけど。
 伝道…これも、情けないことながら、こんなんで良いのか?わたしは伝道者じゃないのか?と、自問自答の日々。

 と、こんな具合に、できることは色々あるが、すべて中途半端。
それなのに、人にはよく「賜物がいっぱい」とか言われる。
 でも、わたしのは「特別な才能」じゃない。なんとなく、色んなことに興味があって首を突っ込んだり、なりゆきで勉強したりする機会があっただけだ。
 しかし、わたしにとってはこの「勉強する機会」が賜物だったのかな、と思っている。

 いずれにしても、はじめから、何かできることが「賜物」ではなくて、何かができるようになることも、もしかしたら賜物なのでは…、と思う。

 あるいは、「何かできること」が賜物ではなく、人柄や性格、その人の存在そのものが賜物、ということもできるだろう。
 今、思い出したけれど、以前、こんなことがあった。
 わたしのところに遊びに来たある姉妹が、ご自分も少しのハンディキャップを持っておられたのだけど、「♪Sunnyさんが、病気なのに機嫌よく頑張ってはるのを見ると、自分も頑張ろうって思える」と言ってくださった。わたしは何もしてないのに、わたしに励まされる、と言われる。「こりゃ病気ももしかしたらわたしの賜物かも」と思ったものだ。
 またある、伝道者の先生がご自分の娘さんの一人の性格を「たとえ紙くずでも『お土産』を貰ったら喜べる性格です」と言っておられた。もちろん褒めておられたのだ。「喜ぶ」と言うことが彼女の賜物だ、と。

 人にとってまず生命そのものが神様からの「賜物」。それだけで十分感謝できるのではないかと思う。
 その上で、もし、自分に何かできることがあるのならなお感謝、と思えばよいと思う。
 別に悩む必要はない、人は生きている限り、何かしら、まわりに影響を与えている。それが「賜物」なのではないだろうか。会社で働いておられるならそれも賜物だと思う。
 教会で、具体的に何かをすることだけに固執していると、「賜物」の本質を見失うのではないか、と心配になることがある。

 今度、「わたしの賜物は?」と考えている姉妹に言ってあげよう。
「あなた自身が賜物だよ」と。
[PR]
by s_soranotori | 2004-02-10 00:00 | 信仰・雑感