あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
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カテゴリ:雑感( 19 )

愛・地球博

 愛・地球博に行くことにした。日程はまだ未定だけど。
姉の家族はこういうのには興味ないらしい。勿論他にも興味のない人はたくさんいるだろう。
でも、我が家はこういうの、大好きなんだよね。
日本にとっての大きなイベントだものね。
大阪万博、神戸ポートピア、花博、と関西圏であったものはとりあえず行った。その中でもやっぱり万博といえば35年ぶりとのことだし、やっぱり是非行っておきたいと思った。詩音ちゃんの記憶には残らないかもしれないけど、写真やビデオを残してあげたい。
 わたしたち家族がこういうのを好きなのはきっと「歴史」が好きだからだと思う。夫の秘蔵品は以前NHKで放送された「映像の世紀」のDVD-BOX。20世紀の歴史が映像によって残されている貴重な資料だと思う。
そういう意味で、世間の関心度がどの程度の物であれ、とりあえず世界的行事である万博が日本で開催される数少ない機会に居合わせたのも一つの摂理かと思うと、是非行っておきたい、と思ってしまう。
 映画「となりのトトロ」に出てくる「サツキとメイの家」は是非行きたいと思っていたのだけど、チケットが取れない。チケットといっても無料なのだけど、コンビニエンスストア“ローソン”でだけ、発券されるというのだけどこれがものすごく入手困難なのだ。翌月分が前月の1日午前10時から予約できるのだけど、わたしが行った時には、10時から端末を操作しているけど、一向に繋がらない、という子連れの女性が、12時過ぎても頑張っておられた。あとでもう一度挑戦したら、11時台ですでにチケットは完売していたらしい。
まあ、有名歌手のコンサートでもチケットの入手は困難で、電話や端末の繋がりにくい状態になるから、ある程度仕方がないとは思うけど、残念なのは、その日のうちにすでにネットオークションに出回っていることだ。コンサートのチケットはもともと有料の物だから、本当に行きたかったけど行けなくなった人が行きたい人に定価で譲るのならまだゆるせるだろう。わたしも実際、ネットオークションではなく、特定の歌手のチケット掲示板を利用したことがある。そこでは定価以外の取引は許されない。有名歌手のコンサートなど、抽選の場合はどれが当たってどれが外れるかわからないので、友人と協力して複数応募して、結果全部当たってしまったので譲るというケースもある。
 しかし、今回の場合は、もともと無料のチケットが、1枚5000円ほどもする値段で取引されているのだ。発売日当日なのに、「是非行きたくてローソンで粘ったのですが、その日行けなくなったのでお譲りします」と言うもっともらしいコメントのついているものもある。嘘だと決め付けては失礼かもしれないけど、本当だろうか、と思うのはわたしだけではないだろう。憤懣やるかたない。本来は、そういう高値でチケットを買えるセレブな人に見て欲しいのではなく、古きよき時代を知らない子供たちに見て欲しいのだろうに。いや、子供に見せてやりたくて、親がそういう高値のチケットを買ってしまうのかもしれないけれど。そう、残念なことには、チケットを出品する人がいるだけでなく、入札する人が多数いる、という事実だ。
 わたしは、そういうチケットは絶対に買いたくないと思う。のどから手が出るほど、欲しくても、やっぱり不正と分かっている行為には関わりたくない。どうしても手に入らなかったのなら、それもまた摂理と言うほかはない、と思っている。
 幸い、わたしたち夫婦は、「サツキとメイの家」だけが目的ではない。色々な国のパビリオンを是非見てみたい。フロリダのディズニーワールドに行った時も、敢えて、人気のマジックキングダムやアニマルキングダムよりエプコットに行ったわたしたち。そう、エプコットは、まさしくリトル万博だと思う。そのエプコットが大好きなわたしたちには、万博は充分楽しめるイベントだと思う。
 色々な国の文化に触れたり、最先端の科学技術に触れたり、万博本来の楽しみを満喫してきたいと思っている。そして、歴史の狭間に生かされていることを実感したいと思う。
ま、理屈より何より、楽しめればいいんだけどね!
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by s_soranotori | 2005-04-03 15:46 | 雑感
 一番好きな詩人は、子供のころからずっと新川和江さんなのだけれど、もう1人、気になる方が居て、先日、その方の詩集をぱらぱらとめくっていたら、心にずしりと感じる詩があった。
 その方、というのは茨木のり子さんなのだけど、茨木のり子さんの詩は、心地のよい響きの中に、時折手厳しいことばがスパッと心に入ってくる。
 「自分の感受性くらい」という詩では、

  自分の感受性くらい
  自分で守れ
  ばかものよ

と、ばっさりやられた。
もちろんこの1連だけを読んでも、この詩の味わいは伝わらないのだけれど。
 今回心に「ずしり」ときた詩は、「倚りかからず」と言う詩集の中にある。
 この詩集の表題になっている「倚りかからず」という詩は、自立した女性のりんとした強さを感じさせる詩で、これはこれで背筋がビシッと伸びる思いのする詩ではある。
この詩に惹かれてこの詩集を買ったのだけれど、今回、今まで読み過ごしていた一篇に目が留まった。
 タイトルは「マザー・テレサの瞳」
クリスチャンでない茨木さんが、どのように、マザー・テレサを見ておられたのか、とふと気になって読み返してみた。
そのなかで心にとまった一節

   外科手術の必要な者に
   ただ繃帯を巻いて歩いただけと批判する人は
   知らないのだ
   瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
   慰藉(いしゃ)の意味を
   死にゆく人のかたわらにただ寄り添って
   手を握りつづけることの意味を

   ――――言葉が多すぎます
   といって一九九七年
   その人は去った

 この詩を読んで、改めて、マザー・テレサのした偉業に思いを馳せた。
 わたしは、愛を表したいと、神様の御心を行いたいと願っていながら、何と偽りの多いものか。
悪戯に言葉を並べていながら、わたしの内には、何も、愛のひとかけらもないことを示されている。
 わたしは高慢で自己中心、いじわるで心が狭く、薄情で冷淡、短気で人を責めやすく、自分の心は僻み、人を嫉み、口では立派なことばかり言う者だ。これほどまでに愛がないか、と思い知らされることばかりだ。
 本当に苦労した人は、「わたしは苦労しました」などとは言わない(それを敢えて言わなければならない状況でない限り)。本当に愛のある人は「わたしは多くの犠牲を払いました」とは言わない。「忍耐しました」とも「わたしは寛容です」とも言わない。ただ、黙ってそうするのだろう。そして、マザー・テレサは正にそのような人だっただろう。
クリスチャンではない多くの人の心を動かした、マザー・テレサの無言の行い、無言の愛の瞳は、どんなにか、深い色をしていたことだろう。
わたしとは程遠いことだけは、間違いない。

 わたしも、マザー・テレサのようにはなれなくても、せめて、わたしに神様が与えてくださった道を、まっすぐに歩むものとされたい。
 神様、わたしに愛を与えてください。


引用:
「自分の感受性くらい」:茨木のり子、花神社刊、「自分の感受性くらい」より
「マザーテレサの瞳」:茨木のり子、筑摩書房刊、「倚りかからず」より
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by s_soranotori | 2005-01-08 00:00 | 雑感

プロジェリアの少女

 先日、遺伝子だか、DNAだかがどうとかいうTVを夫が見ていた。
わたしは家事をしていたり、詩音ちゃんとお風呂に入ったりで、一番最後のパート(?)を、それも途中から見た。
 カナダに住んでいる一人の少女、人の7,8倍のスピードで、細胞が老化していってしまう難病の少女のことが紹介されていた。つまり、13歳にして、すでに肉体年齢が100歳程度に達しているという。プロジェリアと言う、難しい名前のその病を負った子供たちは世界で30人ほどだと言う。その子供達の平均寿命は13歳…。
 神様はどうしてこのような病気も作られたのだろう…。
見ていて涙が溢れて溢れて仕方がなかった。
 例えば、肢体にハンディキャップを持っている人を、「かわいそう」だと思ってはいけないと思う。わたしも、難病と言われる持病を持っていても「かわいそう」と思われたくはない。
そう考えれば、この少女も、「かわいそう」ではないのかもしれない。神様に与えられた誰よりも濃い時間を歩んでいるのだろう。それでも、13歳の少女の口から「I prepare to die.(字幕では「わたしは死の覚悟ができています」)」という言葉が出るのは、普通のことではないと思う。
 それでも、その母親は、その少女に兄弟を与えてやりたいと、第2子の出産を決意し、出産する。たとえ、次の子供もプロジェリアであったとしても、また他のどんなハンディキャップがあっても、産む以外の選択はないと言う覚悟で…。すごいお母さんだなあ、と思った。見ればまだ若そうな女性だったけれど…。
 見ていて、途中で気がついたのは、この親子がクリスチャンであるということ。母親は、教会で出会った人と再婚した、と紹介され、就寝前に、その女の子とお母さんはお祈りをしていた。
 だからこそ、お母さんは、たとえ、どのようなハンディを持つ子供でも生む、と言い、少女は「死の備えができている」と、言うことができたのだろうか…。
 いや、そんな簡単なものではないのだろう…。そこには想像もできない、心の葛藤も、苦しみもあった上での決断であり、言葉なのだろうと思う。
 その親子を見ていながら、わたし自身は、日々の歩みを、日々の命を、どれだけ大切にしているだろうか、と改めて、考えさせられた。
 いつも言っていることだけど、わたしは明日、天に召されても良いと思っている。
人は、多かれ少なかれ、死と隣り合わせの日々を送っている。
その少女は、肉体年齢も100歳かもしれないけれど、きっと、内面的にも、普通の13歳よりもずっとずっと濃い命の日々を送っていることだろう。
 わたしも、そして詩音ちゃんも夫も、人は皆、明日をも知れない命なのだから、もっともっと、今日の命に感謝して、今日の命を大切に生きなければいけないのではないか、と深く心に思わされた。

ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。
これは、もはや自分自身を頼まず、
死者をよみがえらせてくださる神に
より頼む者となるためでした。
コリント人への手紙第2、1章9節


今、少しネットで検索してみたら、この少女のことは、2003年の3月、2004年3月にも、TVで紹介されたらしい。今回で3度目なのだと初めて知った…。本も出版されているとのこと。
自分は、世の中で起こっていることに疎いものだと、改めて感じた…。
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by s_soranotori | 2004-12-22 00:00 | 雑感

雅子妃とわたし

 タイトルを見て、なんのこっちゃい、と思われただろうか。
 最初に申し上げておくが、わたしは、決して天皇崇拝者ではない。取り立てて皇室好きでもない。
 我が家では、普段、雅子さん、愛子さんと、さん付けで呼ばせてもらっているが、ここにそう書くと、「どこの雅子さん、愛子さん?」ということになりそうなので、あえて「雅子妃、愛子様」という表現を使うことにする。
 ただ、雅子妃のことは、結婚された当初からなんとなく気になった。
年齢が近かったせいもあるだろうか。
 しかも、出産が一週間違い。
わたしが「妊娠したかな?」と思っている頃、ちょうど雅子妃も「御懐妊の兆し」という報道の真っ最中。わたしが病院で妊娠を確認して、初めて我が子をエコーを見せてもらってきた日、雅子妃の正式な御懐妊報道がニュースで流れた。
それ以来、特に雅子妃のことが身近に感じられるようになった。

 その雅子妃が、最近ご静養中だということだ。
病状について、色々な噂が乱れ飛んでいるようだ。
銀行でチラリと見た週刊誌に乗っていたこと、また、母など、人から又聞きしたこと、合わせて色々、わたしなりに思うことがある。

 わたしにはなんとなく、雅子妃の辛さがわかるような気がする。
もちろん、あくまでも想像の域を出ないのだけど。
 ある、信仰の先輩に「雅子妃の辛さがわかるような気がするんです」と話したら、「わたしも(あなたと)似てると思っていたのよ」と言われた。
 年齢は確か、雅子妃のほうが一つお若いのではないかと思う。
雅子妃は、バリバリのキャリアウーマンだった。学歴も申し分なく、海外生活も豊富、そして外交官として、やりがいのある仕事に就いておられた。
おそらく、結婚された時には、「日本の代表として、別の形で外交に貢献できる」との思いを持っておられたのだろうと思う。よく「皇室外交」という言葉も使われることだし。
 しかし、ご結婚されてからは、海外に行く機会もほとんどなく、子供を産むまでは「子供、子供」と言われ、いざ産んでみると今度は「お世継ぎ問題」と取り沙汰され、どこに行ってもプライバシーはなく、きっと心は、虚しさで一杯だったのではないだろか。

 そりゃ、こうして書いてみたら、わたしとは雲泥の差だということは重々わかる。わたしなんか学歴もないし、プライバシーも侵害されているわけじゃないし、お世継ぎのプレッシャーもない。
 ただね、仕事の面で、なんかすこーし、気持ちがわかるような気がするのだ。
 わたしは、結婚するまで、神学校と宣教事務局で働いていた。
小さな群れだったけど、その群れにおいては、交わりの中心部分で働いていたことになる。
 宣教に出かけているあちこちの友を訪ねて、国内だけでなく海外にも出かけ、励ましたり励まされたり、知り合いもあちこちに多かった。
 でも、わたし自身は、事務所の中で神様に仕えるのではなく、教会で神様に仕えたい、という思いがずっとあった。
 伴侶が与えられた時、それが牧師になる人だとわかった時、わたしは、教会で思う存分神様のために働けると思った。色んなことができると思った。
そう、いま自分がしているよりもっともっと多くのことができると思っていたのだ。
 でも、結婚してみたら、思っていたようなことは何一つできない。
夫が牧師に就任したと同時に妊娠、出産。
小さな子供をかかえている上に病気持ちの牧師夫人に、教会も気を遣ってくださり、わたしには負担をかけないよう、配慮してくださる。
 前出の先輩婦人の言葉を借りれば「お手ふり状態」
雅子妃や愛子様が窓から手を振って笑顔で人々に応えられるのがお仕事のように、わたしも同じだということだ。もちろん、先輩婦人は嫌味でそういうことを言われたのではない。それしかできない現状をよく理解して言ってくださったのだ。
 周りの皆さんは「カウンセリングで忙しいでしょう」「教会の仕事で忙しいでしょう」と言ってくださるけど、実際のところ、わたしは何をしているのか?
周りの友人たちを見ると、もっと色んなことをしているように見える。わたしはといえば、チラシを作ったり手紙を書いたり、お菓子を作ったり。ほとんど好きでしていることばかり。
わたしが思い描いていた働きとは随分違う…。
 もちろん、わたしは「教会が奉仕をさせてくれない」と不満を言っている訳ではない。
それしかできないわたしに、文句も言わないで忍耐してくださっている教会の皆さんに、むしろ感謝している。
 ただ、わたしが言いたいのは、雅子妃もわたしも、現実は、自分の思い描いていた生活とは随分違う、ということ。

 ただ感謝なことに、わたしは、今、子育てをすること、そして人の目に小さいと見える働きも、神様がゆだねてくださった大切な働きであるということを知っている。
わたしが何をするかではなく、わたし自身の存在を、神様がきっと用いてくださると信じることができる。
 元々、わたしなんてちっぽけな存在だ。神様の目から見たら無にも等しい。そんなわたしが大した働きなどできるはずはないのだ(決して悲観主義で言っているのではない)。
 そのわたしを、「高価で尊い」と言ってくださる神様を知っていることはなんという恵みだろうか。
わたしにはわたしにしかできないことがある、と信じることができるのはなんと幸いなことだろうか。

 雅子妃は、今まで皇室に入られた一般人の方とは違う。昔風の言い方をすれば自覚を持った職業婦人だった。それなりに自立した女性であったと思う。それだけに、皇室という特別な世界にご自分を馴染ませるのに無理をしなければならない面が多々あったのかもしれない。
 願わくば、雅子妃が、ご自身の価値をもう一度再確認できますように。
 ご自身も神様に愛されていることを、お知りになることができますように。
 皇室の人々にも、どうか福音を信じるチャンスが与えられますように…。
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by s_soranotori | 2004-04-10 00:00 | 雑感
 先日、突然「この歌、どういう意味?」と聞かれた。
 それまで、漠然と「戦争反対の歌」と思って聞き、歌ってきた曲だったけど、改めて、その真意について考えたことがなかった。で、気付いたことを私なりに「こんな意味じゃない」と話してみると、聞いた本人は、「なるほど」と納得してくれた。
 作られご本人がどういう思いで作られたのか、はっきりわからないけど、わたしなりの解釈はこうだ。
 「僕たちは戦争が終わって生まれた。今まで戦争が日本では戦争がなかったので、戦争を知らずに育ってきた。この先も僕たちはずっと戦争を知らないで生きていく、戦争を知らない世代なのだ」そういう宣言の歌なのだと思う。
 でも、今もなお、世界中で戦争の話題が尽きない。
日本もそれに参加しているといっても過言ではない状況になりつつある。
 願わくば、世界中に「戦争を知らない子供たち」が満ちる日が来ます様に。

 最近、わたしの心に満ちてくる思い…。
 戦争だけでなく、悲しいニュースが多すぎる。
人々の心が荒んでいる。愛が失われている。
 どうか、神様の愛がこの世界に満ち溢れますように。
人々の心に平安が満ち溢れますように。

平和をつくる者は幸いです。
その人は神の子どもと呼ばれるからです。
マタイ福音書5:9

いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。
ルカ福音書2:14

罪に満てる世界 そこに住む世人(よびと)に
命得よとイェスは 血潮流しませり
(聖歌「ああ恵み」より)
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by s_soranotori | 2004-03-07 00:00 | 雑感

年越し

 今年も残すところあと2日。
早いな~。信じられない。でも、信じようと信じまいと年は暮れていく。
 父の得意ネタの一つ「宗悦殺し」という怪談噺の中で、今で言うマッサージ師の宗悦がお金を貸していた先に「お金を返してもらわないと年が越せません」ということを言いに行くと先方が「越せねば越すな!その方が越せずとも年のほうで勝手に越していくわ!!」という科白がある(多少違うかもしれないけど、まあそんな科白)。
 確かに、家が散らかっていても、家計簿つけてなくても、車を洗っていなくても、年は勝手に越していく。
 結婚前に通っていた教会の牧師先生(アメリカ人宣教師)がいつも、「日本人はどうして年末になるとみんな車を洗うのですか?」と不思議そうに話しておられたのを思い出す。
 ただ、普通に1日が過ぎていくだけなのに12月31日と1月1日では何か全然違う日という気がするのはなぜだろう・・・。
 そんなことを言ったら誕生日だって、昨日と一日違うだけで、年が一つ増えたからどうってことはない、って思うんだけど、やっぱり特別な日なのだ。
 日付、ってなんだか不思議だ。
クリスマスじゃなくても、いつもイエス様が生まれてくださったことを覚えるべきだし、イースターじゃなくても、いつもイエス様が復活されたことを信じているはずなんだけど、やっぱりその日が来ると特別な思い入れを持って臨む。
本当は1日1日が二度と来ない大切な日なのに。
 今日の決断、今日の選択が明日を左右する。極端に言えば、道を右に曲がるか左に曲がるかで出会う人も変わるのだし、それによってもしかしたら人生を左右する人と出会うかもしれないのだ。
まあ、あんまり考えすぎると道も歩けないけど。
 そんなことを思いながら、2003年という1年が過ぎてゆく。
今年は、暮れ近くになってこのサイトを始めたので、年末になって色んな人と出会えた。両親のバプテスマもあって、年の前半を忘れるほど、充実した下半期だった。
 厚かましいようだけど、来る年もまた、神様の豊かな恵みを期待しつつ、新しい一歩を踏み出したい。
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by s_soranotori | 2003-12-30 00:00 | 雑感

「ことば」について

 最近、コミュニケーションの道具としてのことばの用い方の難しさについて考えたことで、以前読んだある本に書いてあったことを思い出した。
それは、井上ひさし氏の「自家製文章読本」という本の中に書かれていたことばで、その本のおよそ結論とも言うべきところに書いてあった。易経の総論と言われる「繋辞伝」という書の中の一文だそうだ。
『書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。』
井上氏は大体次のように解説しておられたと思う(井上氏の文章を読んだわたしの解釈であることをご了承いただきたい)。
「文字はいくら詳しく書いても言葉で述べることを完璧に書き尽くすことは不可能だし、言葉はいくら頑張っても心の中に思っているところを完全に述べ尽くすことはできない。」
書いたものはいくら頑張っても話すことばに勝ることはできないし、いくら話したところで思いのすべてを伝えることはできない、ということだと思う。

 ふと中島みゆきさんが、ご本人の「全歌集」の巻頭に書いておられた文章を思い出した。
「これらの詞は、既に私のものではない。
 何故ならばその一語一語は、読まれた途端にその持つ意味がすでに読み手の解釈する、解釈できる、解釈したいetc.…意味へととって変わられるのだから。」
そこにはまた、「言葉は、危険な玩具であり、あてにならない暗号だ。」とも書かかれていた。
 人は、ことばを理解しようとするとき、それが書かれた文章であれ、歌であれ、語られたことばであれ、受け手の知識の範囲、また想像の範囲でしか理解できない。場合によっては、こうであってほしいという願望まで、その意味として取り込まれてしまうことがある。
結局、人が何かのことばを発する時、それを相手にどう理解させるかというところまで、厳密に特定することが、ことばにはできないのだ。ことばというのはそれ程、頼りないものでしかないのだ。
 にもかかわらず、今のところ、人が人に何かを伝える最も有効な手段はことばであると私は思う。ことばだけが伝達の手段ではないにしてもことばには確かに力があると思う。
 しかしまた、ことばが完璧なものではないからこそ、人間関係は面白く、人と人は解り合おうとするのではないかとも思う。極端に言えば“ことばは万能ではない”ということをふまえてこそ、なお、解り合おうという気持ちが育つのではないだろうか。
 確かに、話したってどうせわからないということも沢山あるだろう。しかしだからこそもっと解ろうとしたいと、わたしは思う。
時に、ことばは自分が思っている以上の力を発揮するこことだってあるのだから。
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by s_soranotori | 2003-12-08 00:00 | 雑感

Challenged Person

 最近、よそのサイトで「Challenged Person」という言葉を使ったのですが、いまいち理解してもらえていないかも、と思ったりもするので、こちらのサイトに、少し書いておこうと思いました。

 「Challenged Person」というのは、従来「障害者」と呼ばれていた人々のことです。
近年、「障害者」の「害」の字が持つイメージの悪さから、「障がい者」と、「がい」をひらがなにしたり、「障碍者」という字を使ったりする事が見られるようになってきました。
英語では、「Handicaped Person」と言われていたので、日本でもその言葉が用いられたりするようにもなってきました。

 近年、更に、もう少し積極的な見方、言葉が使われるようになってきて、冒頭の「Challenged Person」という言葉が使われるようになってきました。
私としてはこの言葉が非常に気に入って使わせてもらっています。
 意味としては、「(神様から)特別にチャレンジを受けた人々」というような意味です。
 もうずっと以前のことで、何という人だったか、また詳しい内容も忘れましたが、京大の教授をしていた方の新聞記事が印象的でした。それは、「『Challenged Person』(その時この表現は用いられていなかったかもしれませんが)は、一般に体が不自由だと思われているが、自分たちに与えられた体の機能をフルに生かして用いていて、むしろ、健常者と呼ばれる自分たちより、独創的な、従来のイメージにとらわれない身体の使い方をしているのではないか。むしろ、画一的な使い方しかしていない自分たちの方が不自由なのかもしれない。」といったような内容だったと記憶しています。
 その意味で私たちのほうが「Challenged Person」にチャレンジを受けているのかもしれない、と思ったりするこの頃です。
 その私でも、「ハンディキャップを持っているのに、こんなに頑張っておられる」という見方をしてしまうことが多々あります。もちろん、現実の生活の中で、不自由な面もおありでしょうが、それをごく当たり前のこととして生活しておられる方々を目の当たりにする時、もっともっと自分の認識を変えていかなくては、と思うことがあります。
 以前、千葉県にあるバリアフリーの教会に伺ったとき、私は昼食を持参していなかったのですが、、重度障害で箱型の電動車椅子に乗っておられた姉妹が、さりげなくサーっと出て行かれ、しばらくすると向かいにあったスーパーで、何人かのお弁当を買ってきてくださったことがありました。
 その教会の先生も重度障害を持っておいでですが、自分でできることは自分で、福祉制度を利用できるところはどんどん利用し、できないことは近くの人にごく普通に「お願いします」といわれるのを見て、本当にすがすがしく、自然体で生きておられる皆さんの姿にたくさんのことを教えられました。

 ところで、私もある意味では「Challenged Person」です。私の場合は、外見上は何も分かりません。内科疾患だからです。膠原病の内の「混合性結合組織病」と呼ばれる特定疾患(いわゆる難病と呼ばれるもの)です。
 日常、それほど困ることはありませんが、人より疲れやすく、できることに限界があります。とはいえ、現代人はみな疲れているようですので、自分でもこの疲れのどこからが病気のせいで、普通の人はどの程度疲れているのか?と思うこともしばしばです。しかし、友人たちの生活を垣間見るにつれ、やっぱり自分は健康な人には及ばない面が多々あるなぁ、と感じることがあります。
 牧師家庭で、子供を保育園に預けることはそう多いほうではないかもしれませんが、私は子供を1歳から保育園に預けています。平日お会いした方に子供のことを聞かれて「保育園に預けています」と言うと「え?保育園」と言われたことがあります。9時から5時まで、と言うと「そんなに長時間」と思われる方もあるようです。
でも私にとっては、必要なことなのです。
また、子供にとっても、母親の病気のせいで十分に外遊びをさせてもらえなかったりするよりは、むしろ良いのではないかと思っています。
 幸い、娘・詩音は良い保育士の先生方に恵まれて、のびのびと育ってくれています。

 ただ、人にこの病気のことを理解してもらうのは非常に難しい面があります。症状にこれといった特徴がないからです。「どんな症状なんですか?」と聞かれても私自身、なんだかよくわかっていなかったりもします。
 ただ、私の場合、「レイノー症」と言って寒いと手指など、血行不良で末端部分が紫と言うかそれを通り越してどす黒くなってしまう症状があります。
 普段病気のことを話してもなかなか理解してくださらない方も、この症状を見ると「大変ですねぇ」と言ってくださいます。
 実は、私にとっては、それ自体、それほど大変なことではありません。それによって、指先に潰瘍ができたりすると少し問題ですが、レイノーそのものは暖かいところに少しいればすぐに元に戻ります。
 しかし、私はいつもこのことを通して人は目に見えるものにいかに左右されるか、ということを教えられます。見えないものは分かりにくく、見えるものを通して評価してしまう、ということです。
 私自身も、その傾向がないわけではないので、注意しなければ、と思う毎日です。

 ただし私は、この病気を神様からの恵みだと思っていて、はっきりと病名が分かっているために、しんどい時には休みやすいし、怠け者の私は、堂々と寝ていられることに感謝していたりします(^_^;)。
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by s_soranotori | 2003-11-18 00:00 | 雑感

辻谷氏のサイトから

 今日、ふと思いついて辻ちゃんのサイトのQ&Aを全部読んでみました。
 考え方としては、非常に共感できるものが多かったです。
 というか、ほとんどそうかな。
 世代も同じだし、なんか、感覚的に、すごく近い気がしました。
 仕事とかそういうのを全部ひっくるめて、人生にとって大切なことは「どう生きるかだ」みたいなところとか。

 その中で、一つ、興味深かったことがあったので、関連記事を(といっても内容的にはあんまり関係ないんだけど)、書いてみました。

 それは、Q55の「今声優業界が求めている人材はどのような・・だと、お考えですか?」という質問への回答。
《質問の角度を変えて、僕がどんな役者さんと共演したいか・・で言えば、
「空間を感じさせてくれる役者」ですね。(後略。詳細は辻谷氏のサイトを見てください)》
 その回答を読んでいて、落語という世界と非常に通じるものがあると感じたんですよね。

 本来落語家、ってそういう空間を感じさせる人じゃないといけないんですよね。
 落語の場合、リアルな間取りというよりも、通常舞台装置的なルールがあるんですけども(例えば入り口は下手〈舞台に向かって左手〉とか)、いずれにしても、装置は何もなし、扇子と手拭だけで、後は右向いて左向いて表現しなくてはならない訳です。
 例えば落語の冒頭によく出てくるこんな台詞、
喜六「こんにちは」
清八「よぉ、きーこやないか、まあこっちあがり」
喜六はどこでこの台詞を言ってるのか、まあ大方は玄関というか、長屋の戸口でしょうけど、間口はどれくらいなのか、そこから相手までの距離はどれくらいなのか、喜六はどんなものを着て、どんな生活をしている人なのか、などなど。
 ものの飲み食いも扇子、手拭、しぐさだけで表しますけど、自分がどんな大きさの茶碗を持っているのか、お酒を飲んでいるのはお猪口か湯飲みか、なんてことも表現できないといけない訳です。
 また、時代考証なんかも結構ややこしいんですよね。というのは、落語の成立が江戸時代で、ネタが、江戸時代にできたもの、明治、大正、昭和にできたものと色々あるからなんです。お金の単位や、生活スタイルなど、それによって大きく変わってきます。
 でも、実際落語そのものは、そんなこと考えなくても、できるものなんですよね。
 で、最近はそういう細かいことを考えないで演じてしまう人が多いのかな、なんて思うことがしばしばあります(勿論、別に全部という訳じゃありません)。それでも結構面白かったりするのです。
 でも、まあ、身内のこというと手前味噌みたいになりますけど、ウチの父は、そういうところ、すごく細かい人で、「落語は究極の一人芝居」といつも言っています。
 そういう意味では、きちんと演出とかしてるんですね。舞台装置がいつもきちんと自分の頭の中にあって、どんな衣装で、とか。もちろん、演じるネタによって当日の衣装を選ぶのは落語家にとって常識的なことですが、登場人物一人一人の身形や、詳細まで頭の中できちんと描いている訳です。で、あるときは喜六が主役、別の時は清八サイドが中心、とか、変えて演じることができる。ウチの父も元々役者志望で、落語家になろう、と思ってなった訳じゃなくて、先代桂春団治師匠にスカウトされて落語家になった人なので、そういう意味では余計、芝居的要素が強いのかもしれませんが。
 そういう話をいつも聞いていたので、辻谷氏の文章を読んだ時に、大きく頷いた私なのでした。
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by s_soranotori | 2003-11-14 00:00 | 雑感