あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

<   2003年 11月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 今日はShionの初めての音楽会だった。
去年の12月からの入園だったので、多くのことは今年初体験。
 最初は、観客に驚いたようだったけれど、すぐになれたのか、いつもの詩音ちゃん(^^)。
 最初は端っこの方に座ったけれど、だんだん移動して、ついにセンターポジション。スターの片鱗、なんてね(親バカ(*^_^*))。
 最初はお遊戯付きの歌で「どんぐりころころ」可愛い!!(^◇^)
しぐさの一つ一つに詩音ちゃんの癖が出ていて可笑しい。
 次はミルク缶で作った太鼓を首から提げて「おもちゃのチャチャチャ」に合わせてトコトコと合奏。赤ちゃんは、ジュースの空き缶のマラカスを振り振りしていました。

 それにしても最近の母親たちというのは、まったくしょうがない。まあ、わたしも最近の母親なんだけど。
 とにかく開演前から、おしゃべりのしっぱなし。
それも、ひそひそ声ではなく、普通声で。
園長先生の挨拶を聞いている人は何人いたか・・・。
 子供が入場してきてもおしゃべりは止まらず。演奏(歌)が始まると、少しは減ったけれど、それでも、静まりかえるということはなかった。子どもの演奏を聞きにきているのか、○○ちゃんのお母さんとのおしゃべりに来ているのか。
 もうちょっとで立ち上がって「あんたらちょっと静かにしたらどないやねん!」と啖呵をきるところだった。恥ずかしさが勝って、立ち上がれなかった。
 最近の親はこんな風だと、前に聞いたことはあったけど、目の当たりにして、本当に残念な気持ちでいっぱいになってしまった。

 そういえば、先日、姉と高槻の方の温泉に行ったとき、「浴槽内にタオルをつけないで下さい」と書いてあるにもかからわらず、腰に、タオルを巻いたまま、赤ちゃんを抱っこしたお母さんと小学生の女の子が湯船に入ってきた。
 わたしはこういうのが大嫌い。
書いたものが掲示されていなければまだいいのだけど、書いて貼ってあるのに平気でしているのが、どうも気になって仕方がない。
 でも、いきなり言うのも・・・、と思って、最初は我慢していた。姉に「あんた言うたら?」などと、ちょっと押し付けてみたり。
 しばらくして、露天風呂に移動したら、そこにも同じ親子が、さっきと同じように腰にタオルを巻いて入ってきて、キョロキョロしていたので、掲示に気が付くかと様子を見ていたけど、温泉の効能だけ読んで、その上の掲示には気付かずのんびりお湯に浸かっている。ついに堪りかねて『「タオルをつけないように」って書いてあるんですけど・・・。子供が真似をしますので』と言った。スッとした。
 悪気はないんだろうけど、公衆浴場でタオルをお湯につけないというのは最低限のマナーだ。TVの旅番組で、レポーターがタオルを巻いてお湯に浸かるのは、公序良俗と放送コードの問題。現実にお風呂屋さんでは、みんなが裸なんだから、恥ずかしがる必要なんかないのに。
 長い髪を結わないで、湯船につけている人も気になる。髪のことはいちいち書いて貼ってないので、あからさまに言うのも憚られて、なかなか言えないのだけど・・・。

 親がしていると子供もする。
 こうやって何もかもがナアナアになってしまう。ア~、ヤダヤダ!
 でもきっとわたしも、色々気付かないところがあるんだろうな。
人の振り見てわが振り直せ。わたしも気をつけなくちゃね。
[PR]
by s_soranotori | 2003-11-27 00:00 | 育児

父と娘の信仰秘話

 この前私は、父のバプテスマの裏話をぶちまけた。あれだけではなんだか父が可哀想な気がしてきたので、父の、クリスチャンになるまでの道のりを、娘から見た目で綴ってみようと思う。

 父は、家庭的に恵まれた人ではなかった。だから余計なのだろうけど、非常に芸人らしい部分を持つ反面で、とても家庭的なところがあった。
 新しい物好きなところがあって、8ミリを自分で撮影していた。今のようにまだホームビデオのない時代のことだ。私がまだ赤ちゃんの頃からの映像が我が家には残っている。一年に一度、今はなくなってしまった阪神パークの菊人形を見に、家族やお弟子さん、同居していた母の兄弟まで一緒に出かけた。小学生の頃に、学校を休んで家族旅行に出かけたこともある。
 しつけには厳しかったが、とても優しい父だった。
 私と姉が、TVドラマ「サインはV」に夢中になっている頃、仕事でそのキャプテン役の方と一緒になったらしく、サインをもらってきてくれたこともあった。中学時代、アニメに夢中になっていた時には、どこかの本屋で売っていたからとセル画をたくさん買ってきてくれたこともあった。仕事柄、すれ違いが多かったはずなのだけれど、逆に様々なエピソードが思い出になっている。

 家族の中で、父と私はどちらかというと性格が似ている方だ。私を知っている人からは「うそや~」と言われることは必至だけれど、敢えて言うなら、父と私は陰、母と姉が陽の性格だ。いや、むしろ凹凸に例えたほうが良いかもしれない。父と私は凹、母と姉は凸。だから母と姉はよく喧嘩する。決して仲が悪い訳ではないのに喧嘩する。凸の出っ張った部分同士が摩擦を起こすらしい。父と私は、むしろ会話が少ない。決して仲が悪い訳ではないのだが、そんなに話が弾む方ではない。
 
 そんな父が、私が高校を卒業して上京したことをきっかけに東京の寄席に時々出演するようになった。そんなときには10日間、父は私の部屋に泊まっていった。あまり話はしないけど、私は、甘いものの好きな父のためにお菓子を作って待っていたり、父は、当時、未成年のクセに煙草を吸っていた私にライターやシガレットケースをくれた。

 父は、私がクリスチャンになったことに関しては、無反応に近かった。ただ、私が行っている教会がどんなところか(変なところでないか)、確かめるために両親そろって教会の集会に出席してくれた。
 父は、私がクリスチャンになって、当時目指していた女優の道をあっさりとあきらめ、神様一筋になっていったことに関しては、実はショックだったようだ。後に、姉の進路のことで、家族会議になった時、父が「早樹には裏切られたからお前には(女優の道で)頑張って欲しい」と言うようなことを話すのを聞いて、「あー、そんな風に思っていたのか」と痛感した。しかし、そんなことは当時、顔には少しも出さなかった父である。
 クリスチャンになって間がない頃、両親にもクリスチャンになって欲しい、という話をすると、私が女優の道を捨てたことで、クリスチャンになったら芸人をやめなければいけない、と思ったのか、「わしが落語やめたら誰が食わしてくれんねん。神さんが食わしてくれるんか」と言ったことがあった。父が、信仰のことで私にきついことを言ったのは、この時だけだったと記憶している。

 母は、一番最初こそ「教会に行くのはいいことや」と言ってくれたが、私が急激に熱心になるにつれ、心配から、反対するようになった。最終的に両親は、「信仰の自由」が憲法に守られていること、私がもう20歳になっていたこと、この2つの理由で、容認してくれた。
 しかし、数年して神学校に行きたい、と言った時にはさすがに「賛成できない」と言われた。シスターにでもなるようなイメージがあったのかもしれない。家の中で気まずい空気が流れた。話は膠着状態だったけれど、私の決心は変わらなかった。私は、両親に長い手紙を書いた。
 その頃、父は健康診断でちょっと引っかかり、再検査が必要と言われていた。更にはちょっとした段で足をひねり足の甲の骨を骨折した。
 ある日、高校時代に痛めたひざに水がたまっていた私と父は、一緒に近くの整形外科に出かけた。診療時間の少し前についてしまい、外で少しの間待っていた。私と父は例によって黙って立っていたのだけれど、その時父がポツリと言った。「あの話、神学校の事な、今晩話しなさい」
 その晩、神学校の話を切り出した私に、両親は、「認めることはできないけれど、もう立派な大人なんだから(当時私は24歳だった)勝手に行くなら、仕方がない。その代わり経済的なことも含めて、途中でやめることになっても、どうなっても知らないから」と母に言い渡された。
 私たちは基本的にとても仲の良い家族だったし、まして、家庭に恵まれなかった父にしたら、家族がいつまでも反目しあった状態は嫌だったのだろうと思う。

 父が最初に脳塞栓で倒れたのは、私が9月から神学校に入学することが決まった年の8月だった。父は奇跡的に回復し、退院することができた。その8月、父の看病に疲れたのか、母も、胆のう炎で腹膜炎寸前で入院。私は神学校に入学できるかどうかの瀬戸際に立たされたが、叔母(母のすぐ下の妹)の助けを始め、多くの人の助けもあって、何とか入学することができた。

 母は、キリスト教に限らず、どちらかというと宗教好きな人だった。姓名判断や方位、暦、何でも気にする人だったし、観音様や荒神さんにもよく参っていた。その代わり、私の話(キリスト教・聖書の話し)もよく聞いてくれた。父はいつも黙っていた。
 それでも時折、「高山右近の洗礼名、知ってるか、ジュスト言うねんて」とか、落語に出てくる「崇禅寺」に細川ガラシャ夫人の墓があることを教えてくれたりした。

 阪神淡路大震災の起こる直前の正月に私たちは、家族で九州へ旅行をした。脳梗塞で一人暮らしができなくなり同居するようになった父の母と(私にとっては祖母)私たち家族4人と車で(フェリーで)行った。水曜にかかるので(水曜はいつも私が教会の祈祷会に出席する日だった)、教会のあるところなら良いと、私が言ったので、鹿児島の長島、出水近辺に出かけた。長島に、よく知っている教会があったからだ。その時、長島で焼き物をしておられたKさんご家族を訪問した。
 若い時に少しだけ焼き物と関わったことのある父は、Kさんと打ち解けて話していた。父が私以外のクリスチャンの人と、フレンドリーに話すのを始めて見たような気がする。自然体でクリスチャン生活をしておられるご家族の姿にも好感を持ったようだった。
[PR]
by s_soranotori | 2003-11-24 00:00 | 信仰・証し

Challenged Person

 最近、よそのサイトで「Challenged Person」という言葉を使ったのですが、いまいち理解してもらえていないかも、と思ったりもするので、こちらのサイトに、少し書いておこうと思いました。

 「Challenged Person」というのは、従来「障害者」と呼ばれていた人々のことです。
近年、「障害者」の「害」の字が持つイメージの悪さから、「障がい者」と、「がい」をひらがなにしたり、「障碍者」という字を使ったりする事が見られるようになってきました。
英語では、「Handicaped Person」と言われていたので、日本でもその言葉が用いられたりするようにもなってきました。

 近年、更に、もう少し積極的な見方、言葉が使われるようになってきて、冒頭の「Challenged Person」という言葉が使われるようになってきました。
私としてはこの言葉が非常に気に入って使わせてもらっています。
 意味としては、「(神様から)特別にチャレンジを受けた人々」というような意味です。
 もうずっと以前のことで、何という人だったか、また詳しい内容も忘れましたが、京大の教授をしていた方の新聞記事が印象的でした。それは、「『Challenged Person』(その時この表現は用いられていなかったかもしれませんが)は、一般に体が不自由だと思われているが、自分たちに与えられた体の機能をフルに生かして用いていて、むしろ、健常者と呼ばれる自分たちより、独創的な、従来のイメージにとらわれない身体の使い方をしているのではないか。むしろ、画一的な使い方しかしていない自分たちの方が不自由なのかもしれない。」といったような内容だったと記憶しています。
 その意味で私たちのほうが「Challenged Person」にチャレンジを受けているのかもしれない、と思ったりするこの頃です。
 その私でも、「ハンディキャップを持っているのに、こんなに頑張っておられる」という見方をしてしまうことが多々あります。もちろん、現実の生活の中で、不自由な面もおありでしょうが、それをごく当たり前のこととして生活しておられる方々を目の当たりにする時、もっともっと自分の認識を変えていかなくては、と思うことがあります。
 以前、千葉県にあるバリアフリーの教会に伺ったとき、私は昼食を持参していなかったのですが、、重度障害で箱型の電動車椅子に乗っておられた姉妹が、さりげなくサーっと出て行かれ、しばらくすると向かいにあったスーパーで、何人かのお弁当を買ってきてくださったことがありました。
 その教会の先生も重度障害を持っておいでですが、自分でできることは自分で、福祉制度を利用できるところはどんどん利用し、できないことは近くの人にごく普通に「お願いします」といわれるのを見て、本当にすがすがしく、自然体で生きておられる皆さんの姿にたくさんのことを教えられました。

 ところで、私もある意味では「Challenged Person」です。私の場合は、外見上は何も分かりません。内科疾患だからです。膠原病の内の「混合性結合組織病」と呼ばれる特定疾患(いわゆる難病と呼ばれるもの)です。
 日常、それほど困ることはありませんが、人より疲れやすく、できることに限界があります。とはいえ、現代人はみな疲れているようですので、自分でもこの疲れのどこからが病気のせいで、普通の人はどの程度疲れているのか?と思うこともしばしばです。しかし、友人たちの生活を垣間見るにつれ、やっぱり自分は健康な人には及ばない面が多々あるなぁ、と感じることがあります。
 牧師家庭で、子供を保育園に預けることはそう多いほうではないかもしれませんが、私は子供を1歳から保育園に預けています。平日お会いした方に子供のことを聞かれて「保育園に預けています」と言うと「え?保育園」と言われたことがあります。9時から5時まで、と言うと「そんなに長時間」と思われる方もあるようです。
でも私にとっては、必要なことなのです。
また、子供にとっても、母親の病気のせいで十分に外遊びをさせてもらえなかったりするよりは、むしろ良いのではないかと思っています。
 幸い、娘・詩音は良い保育士の先生方に恵まれて、のびのびと育ってくれています。

 ただ、人にこの病気のことを理解してもらうのは非常に難しい面があります。症状にこれといった特徴がないからです。「どんな症状なんですか?」と聞かれても私自身、なんだかよくわかっていなかったりもします。
 ただ、私の場合、「レイノー症」と言って寒いと手指など、血行不良で末端部分が紫と言うかそれを通り越してどす黒くなってしまう症状があります。
 普段病気のことを話してもなかなか理解してくださらない方も、この症状を見ると「大変ですねぇ」と言ってくださいます。
 実は、私にとっては、それ自体、それほど大変なことではありません。それによって、指先に潰瘍ができたりすると少し問題ですが、レイノーそのものは暖かいところに少しいればすぐに元に戻ります。
 しかし、私はいつもこのことを通して人は目に見えるものにいかに左右されるか、ということを教えられます。見えないものは分かりにくく、見えるものを通して評価してしまう、ということです。
 私自身も、その傾向がないわけではないので、注意しなければ、と思う毎日です。

 ただし私は、この病気を神様からの恵みだと思っていて、はっきりと病名が分かっているために、しんどい時には休みやすいし、怠け者の私は、堂々と寝ていられることに感謝していたりします(^_^;)。
[PR]
by s_soranotori | 2003-11-18 00:00 | 雑感

辻谷氏のサイトから

 今日、ふと思いついて辻ちゃんのサイトのQ&Aを全部読んでみました。
 考え方としては、非常に共感できるものが多かったです。
 というか、ほとんどそうかな。
 世代も同じだし、なんか、感覚的に、すごく近い気がしました。
 仕事とかそういうのを全部ひっくるめて、人生にとって大切なことは「どう生きるかだ」みたいなところとか。

 その中で、一つ、興味深かったことがあったので、関連記事を(といっても内容的にはあんまり関係ないんだけど)、書いてみました。

 それは、Q55の「今声優業界が求めている人材はどのような・・だと、お考えですか?」という質問への回答。
《質問の角度を変えて、僕がどんな役者さんと共演したいか・・で言えば、
「空間を感じさせてくれる役者」ですね。(後略。詳細は辻谷氏のサイトを見てください)》
 その回答を読んでいて、落語という世界と非常に通じるものがあると感じたんですよね。

 本来落語家、ってそういう空間を感じさせる人じゃないといけないんですよね。
 落語の場合、リアルな間取りというよりも、通常舞台装置的なルールがあるんですけども(例えば入り口は下手〈舞台に向かって左手〉とか)、いずれにしても、装置は何もなし、扇子と手拭だけで、後は右向いて左向いて表現しなくてはならない訳です。
 例えば落語の冒頭によく出てくるこんな台詞、
喜六「こんにちは」
清八「よぉ、きーこやないか、まあこっちあがり」
喜六はどこでこの台詞を言ってるのか、まあ大方は玄関というか、長屋の戸口でしょうけど、間口はどれくらいなのか、そこから相手までの距離はどれくらいなのか、喜六はどんなものを着て、どんな生活をしている人なのか、などなど。
 ものの飲み食いも扇子、手拭、しぐさだけで表しますけど、自分がどんな大きさの茶碗を持っているのか、お酒を飲んでいるのはお猪口か湯飲みか、なんてことも表現できないといけない訳です。
 また、時代考証なんかも結構ややこしいんですよね。というのは、落語の成立が江戸時代で、ネタが、江戸時代にできたもの、明治、大正、昭和にできたものと色々あるからなんです。お金の単位や、生活スタイルなど、それによって大きく変わってきます。
 でも、実際落語そのものは、そんなこと考えなくても、できるものなんですよね。
 で、最近はそういう細かいことを考えないで演じてしまう人が多いのかな、なんて思うことがしばしばあります(勿論、別に全部という訳じゃありません)。それでも結構面白かったりするのです。
 でも、まあ、身内のこというと手前味噌みたいになりますけど、ウチの父は、そういうところ、すごく細かい人で、「落語は究極の一人芝居」といつも言っています。
 そういう意味では、きちんと演出とかしてるんですね。舞台装置がいつもきちんと自分の頭の中にあって、どんな衣装で、とか。もちろん、演じるネタによって当日の衣装を選ぶのは落語家にとって常識的なことですが、登場人物一人一人の身形や、詳細まで頭の中できちんと描いている訳です。で、あるときは喜六が主役、別の時は清八サイドが中心、とか、変えて演じることができる。ウチの父も元々役者志望で、落語家になろう、と思ってなった訳じゃなくて、先代桂春団治師匠にスカウトされて落語家になった人なので、そういう意味では余計、芝居的要素が強いのかもしれませんが。
 そういう話をいつも聞いていたので、辻谷氏の文章を読んだ時に、大きく頷いた私なのでした。
[PR]
by s_soranotori | 2003-11-14 00:00 | 雑感
 去る、10月26日、両親がバプテスマを受けた。ものすごく嬉しかった。神様の素晴らしい恵みだった。
 でもそれだけでは終わらなかった。
 当日、当事者は礼拝の中で、証しというものをする。イエス・キリストを信じたいきさつとか、バプテスマを受ける決心をしたいきさつなどを語る。
 ところで、私の父は、プロフィールの欄に書いたとおり、落語家だ。言ってみれば話すことのプロだ。私はそれをすっかり忘れていた。証しとはどんなことをすればよいのかは説明したけれども、どれくらいの時間で話せばよいかを言い忘れていたのだ。
 父が証しを始めたとき、私は「しまった!」と思った。時間制限を伝えるべきだった、と思ったがすでに時遅し。父は語りだした。しゃべるしゃべる。歌まで歌いだす始末。信徒の皆さんはそれなりに楽しんでいるようだが、私は気が気ではなかった。牧師(私の夫)のメッセージの時間がなくなってしまう。用意したビデオも残り時間が少なくなってきた。
 私は父の証し中、母子室(教会堂の一番後ろにあるガラス張りの部屋)で、何度か思わず立ち上がり、「マキ」の合図をした。父はその度に、「ちょっと長くなりますが説明をしないと分かりにくいので」とか何とか、言い訳をしていた。しばらくは、簡単に話そうとしていたが、しばらくたつと元のペースに戻る。
 普通の人は、証しというとたいてい緊張して、書いたものを読むだけなのだけれど、父は、何も見ないで話す癖がついている。講演会では90分話すのが通例だ。落語のネタならばそれなりの枠があるけれども、フリートークは話そうと思えばいくらでも話せる。
 私は最低でも3回は「マキ」の合図を送った。証しは35分くらいはあったと思う。終わった時にはホッとした。
 礼拝後、今度はバプテスマ式。
教会の前の小さなスペースにバプテスマ槽を置いてのバプテスマ式。通常、私たちの教会では琵琶湖でバプテスマ式をするが、父は、病気で体が弱っているし、歳だし、もう水も冷たくなっているから、と、教会でのバプテスマになった。
 式の最初に賛美をしていると、父は、さりげない顔をしてバプテスマ槽に手を入れ水温を確かめていた。「ちゃんとお湯にしてあるってば!」と心の中で叫びながら、子供みたいな父がちょっとおかしくなった。
 そしていよいよバプテスマ、いわゆる洗礼のことなのだけど、全身をお風呂みたいなバプテスマ槽に沈める。牧師が、(水が入らないように)「鼻をつまんでください」と言っているのに一生懸命両耳に指を突っ込む父。これにはさすがに笑ってしまった。牧師が何度も「鼻を・・・」と言っているのにそれでも耳に指を突っ込んでいる。さすがに見かねた私は「お父さん、鼻、鼻」と小声で(でもみんなに丸聞こえ)叫んだ。
 父のバプテスマが無事終わり、母の番。その間、父は、ぬれたバプテスマ衣から着替えるために、用意された小部屋に。その場所が問題。バプテスマ槽のちょうど真後ろにあったのだ(写真で母の後ろに見えている茶色いのがドア)。にもかかわらず父は、ドアを開けたまま、悠然と着替えを始めた。
バプテスマ衣を脱ぎ、下に着ていたシャツを脱ぎ・・・。その姿は教会員の皆さんに丸見え。前で母のバプテスマ式を行っているので、私は「ドアを閉めて」と叫ぶ訳にもいかない。
 結局、父がパンツ一枚になる寸前、私はドアを閉めに走った。何とか間に合った。
 あとでビデオを見ると、バプテスマ槽の前に立っている両親は、とても落語家風夫婦には見えず、お豆腐屋さんの夫婦みたいだった。なんだかとてもアンバランスで、家族で大笑いしたことは言うまでもない。
 私がクリスチャンになって20年、感動のバプテスマ式になると思っていたんだけどな・・・。
[PR]
by s_soranotori | 2003-11-12 00:00 | 信仰・証し