あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
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またまた子育てのこと

 教会の内外で、ちょっと色々あり、子供を育てる、ということについて、少し考える事があった…。
少し前にも、子育てのことを書いたけれど、もう少し、具体的なことを考えさせられた…。

子供を育てるとはどういうことなのか。
最近の子育ては、昔とは随分変わってきていると感じる。
わたしが子供のころは、それなりに罰が伴った。
わたしが育った家庭は、それほど厳しいとは思わないけれど、「お約束」をして、それを破ったら「おしりペンペン」か「やいと(お灸)を据える」か、どちらか自分で選ばなければならなかった。
更に小さい頃、親は危ないことだけは叩いてでも教えてくれたそうだ。

 今は、決して叩いてはいけない、体罰はいけない、どんな事があっても…。と言われている。
 果たしてそうだろうか?
 わたしの母は、決して物で叩かなかった。自分の手のひらの痛みを感じながら、その手で叩いたのだそう。
あとで、優しくおしりを覗いて「赤くなってへんか…」と心配してくれたこともあった。
そんな親に叩かれたからといって、わたしはゆがんだ恐怖感を持ったとは思わない。
むしろ、親が自分のために叱ってくれていることがわかっていたように思う。

 わたしには、一般に体罰を認めないのは虐待への抑止であるように感じられる…。
 今、わたしは、子供を叩いて叱ることはほとんどない。
かといって決してないとも言えない。
ただし、一度だけ、母が、感情的になり、物で叩かれた事があり、それだけは心に、澱のように残っていることを自分でも肝に銘じている。
感情的にカッとしている時は、絶対に手を上げない。
 しかし絶対にいけないことはいけない、危険なことは危険、と教えなくてはならない。
そのための鞭は差し控えてはならないのだ(もちろん文字通り鞭を使うという意味ではないが)。

 子供は親をおそれなくてはならない。それは恐怖ではなく、尊敬するということ。
それはすべての「畏れ、敬い」の原型となる。
 わたしは、不思議なことには父に叩かれたことは一度もない。それどころか、叱られた記憶すらほとんどないのに、母よりも、むしろ恐いのは父だった。
家の中で、「師匠」として、厳然と存在していた父を畏れていたのかもしれない。
 今は、全般的に親を親とも思わず(「友達親子」という便利なことばもあり)、縦の関係(上下関係)を嫌い横のつながりばかり大切にする風潮があるのではないか…。
しかしそれでは、神を畏れ敬うということまで、おぼろげになってしまうのではないだろうか、と少し心配になる。

 子供は、親に守られている。
子供は、危険な場所を、あらかじめ教えられる。
確かに、落ちてみればその痛さはわかる、けれども、大怪我をして命取りにならない程度に、親は子どもを守る責任があるだろう。
子供がある程度、意思を持って主張する年代になっても、やはり成人するまでは(単に年齢的な意味ではなく)、やはりその責任は親にあるのだろうと思う。
 なんでも自由にさせる、物分りのよい親を子供は好むだろう。
しかしそれが必ずしも子どものためにはならないだろう。
自由と放縦、規制と拘束は違う。

 最近、どこまで自由にさせてやるべきか、どこまで待ってやるべきか、子供の意思をどこまで尊重すべきか、考える事がある。

 まだまだ、わたしの子育ては始まったばかり。手探りの状態が続く…。
 しかし、結局のところ、自分の受けてきた体験が基礎になるのではないかと思う。
少なくともわたしは、自分の親が、わたし自身を非常によい育て方をしてくれたと思っているので、聖書の概念や、新しい情報も取り入れながら、その体験に基づいて子供を育てていくのだろう、と思う。

 両親は、夫婦で話し合い、相談して、育児の方針を決めたのだそう。
また、両親は、ある意味で非常に強い信念のようなものを持っていたように思う。
 もしかしたら、その信念が、わたしを意志の強い人間に育ててくれたのかもしれない、と思う。(ただし、意志が強いと言っても、自分には甘い人間で、自分を律することに関しては必ずしも意思が強い訳ではなく、自分の夢や希望に対して、意思が強いだけだが…)
そういう意味で、わたし自身も、親が子供に示すことのできる「信念」のようなものを、断固としてもって生きたいと思う。
 わたしの親は、ほとんどのことは何でも自由にさせてくれた。
しかし、それがわたし自身のためにならないと思うことは、断固として許されなかった。
或いは、「待つ」ということを非常に教えられた。
夫でもあるわたしの牧師はこの「待つ」ということの大切さを時々語る。
多くのことを「待つ」忍耐が「待ち望む信仰」を育んでくれるのかもしれない。

 今、子供がどんな学校に行くか、どんな職業につくか、何になるか、そのようなすべてのことに優先して、主、イエス・キリストに導くことが親の最大のつとめであると思う日々の中で、いずれにしても、子供を持つ初めから、イエス・キリスト信仰を持ち、御ことばの土台の上に立っていることは、何よりも心強いことである。
そう感じると共に、だからこそなおさら倒れないように心がけなくては、と思うこの頃ではある。

子どもたちよ。
主にあって両親に従いなさい。
これは正しいことだからです。
「あなたの父と母を敬え。」
これは第一の戒めであり、
約束を伴ったものです。
すなわち、
「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」
という約束です。

エペソ人への手紙6:1~3

 従わせられる親、敬われるに値する親にならなければ…(~_~;)。

 先ごろも、ある牧師家庭に育った若い伝道者と話す機会があった。
「自分が子供のとき、両親はいつもいつもそばにいてくれた訳ではなかったが、必要な時にはいつでもそばにいてくれました」
と彼は語っていた。
 いつも子供のそばにいなくても、本当の、子供の必要を見極め、すかさず手を伸べることが出来る親になりたい、とわたしも思わされた。

 前回、子育てのことを書いたのと重複するけれども、わたしが、クリスチャンとして育った土壌では、牧師たちの子供の多くが伝道者になっている。多分5割以上の確率、もしかしたら8割位にのぼるかもしれない。
わたしはそういう世界しか知らなかったとき、伝道者の家庭に育てば、子供は自然に神様の素晴らしさを知るかのように思っていた。しかし、その群れを離れ、外へ出たとき、伝道者の子供が教会にさえつながっていないケースが多々あることを知った。
それはわたしにとって大きなショックだった。
 わたしは、上手く子供を神様に導くことが出来るのだろうか。
自分自身が、家庭の中で神様の素晴らしさを信じ、語り続けることが何より大切だと思いながら、ともすると呟きが多くなる。こんなわたしではいけない。もっともっと…。
 いや、そうじゃない。
神様に委ねること、そして、自分自身が恵みの中に留まること、そして、何が正しいことなのか、基準と信念を持って教えること、そしてヴィジョンを見ること。
やはりそこにたどりつく。
 子供に愛されたい、子供に好かれたいと子供の顔色を見て機嫌を取ることはたやすいけれど、それが子どものためになるとは限らない。いやむしろ子どものためにならないことのほうが多い。
 人は「子供は純粋だ」という。確かに神様を純粋に信じやすいものだろう。その半面で、世の影響もそれだけ受けやすいということ。わたしは、偶像と闘った時のように、身を持って、正面切ってぶつかっていかなければならないのだ、と最近思わされている。

 偶像問題、結婚問題、妥協との闘いだった。長い闘いだった。その末に見た祝福を思うとき、子供のことも、どんなに辛くても、子どものために闘っていかなくてはならないと思うことがある。
 偶像問題、結婚問題も、自分ひとりの力で闘ってきたわけじゃない。主が闘ってくださったのだ。
今また、子供の心のうちにある罪と、そして世の力と、主に力を頂いて闘っていきたいと思う。
その背後にある祝福を信じて。
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by s_soranotori | 2004-08-18 00:00 | 育児

異教との関わり

 掲示板で、墓参りの問題が出たので、改めて、異教との関わりについて考えてみた。
掲示板に書いたことも含めて、もう一度自分の考えをまとめておこうと思う。
他の掲示板でも、盆踊りなど地域密着型(?)の行事などとの関わりも話題に出ていたし…。

まず墓参りの問題。この問題は、日本では非常に複雑な問題だとは思う。
 しかし、わたしの中では断固できないこと。
わたしも「墓」そのものが悪いわけではないと思う。
仏式のお墓であっても仏壇であっても、掃除をしたりすることはかまわない、と思っているし。しかし決して手は合わせない。
 幸いなことにわたしは、独身時代から今日まで、一度も、仏式のお墓参りを強要されずにすんだ。というか、断固拒否した。親も割りに民主的な(?)ところがあり、「何が何でも来い!」というような強固な姿勢ではなかったように思う。
 親戚の家の法事だったか(?)に、母を車で連れて行ったときにも、正規の時間前について、無理やり仏壇の前に座らされたけど(これは家の中だけでなく、体面があったようだ)、焼香もせずに、頭だけ下げて、手も合わせずに帰ってきた。
後ろの席についていた人は少し変な顔をしていたけど。
 友人のお母様が亡くなったときは白っぽい花を少しだけ買って行き、「クリスチャンなのでお焼香できなくてごめんね」とその花を友人に渡した。日頃からクリスチャンだと話していたので、納得してくれた。友人は、その花を祭壇においたようだけど、わたしは自分で供えることはしなかった。
 夫の母親は、夫が1歳半の時に亡くなり、結婚する時には既におらず、夫の父親は、わたしたちが結婚した約10日後、新婚旅行から帰ってきた翌日亡くなった。
わたしたちはすぐに北海道に飛んだが、夫には兄がいて、喪主はその兄であったため、仏式での葬儀となった。前夜から、葬儀場に泊り込むこととなったが、焼香等は一切しなくてすんだ。
 というのは、夫の伯母と従妹がクリスチャンであったため(特に伯母は非常に熱心な方で)、通夜の席などで座席に回ってくる焼香の箱(盆?)はそのまま隣に回し、また葬儀本番の時は、もう焼香順の読み上げリストからも名前を省いてもらうことが出来たのだ。通夜の会場でも葬儀の会場でも、クリスチャンで集まって、ともに祈ることが出来、本当に感謝だった。
 最初は結婚してすぐの葬儀で、それも父親の葬儀でとても緊張した。「次男の嫁は焼香もせんのか」と言われたらどうしようかと…。でも、そのようなことをいう人もなく、すべての場面で守られたことを本当に感謝した。
 その後、夫の親戚の葬儀に出たときも、「わたしたちは焼香できないので…すみません」と事前に言っておいたら「ああ、あんたんとこは宗旨が違うもんね」とあっさり受け入れてくださり、その伯母の日頃の証しに感謝した。
 わたし自身の親には、救われたときすぐに、これからか墓参りも仏壇を拝むこともしない、と宣言し、その時以来したことがない。最初はブツブツ言われたこともあったが、わたしとしては、一貫した態度を取り続けたことが良かったと思っている。
 実際、わたしは非常に恵まれているのだと思う。
生まれ育った場所は、地域的にも、さほど因習が強い訳でもなく、父は身内に縁がなく、母も、次男の子供なので、元々実家の墓はなかった。母が、亡き両親の墓を立てたくらいだ。
そういう意味で、父方の墓も、母方の墓も、わたしの両親の代で建てたものだったから、先祖代々の墓という訳ではなかった。
 それでも、娘2人なので、自分がクリスチャンになったときには随分悩んだ。
とりあえずは、姉が、お墓のことは自分が何とかする、といってくれたけど、親が死んだ時の葬儀のことなど、考え始めたら、鬱々とした気分になった。そのとき、ふと、「そうだ、両親がイエス様を信じて救われれば問題は解決する」と思った。
そのときから、両親の救いを祈り始めた。
 両親は割りに民主的なところがある、と先程も書いたけれども、そのうちにわたしのために配慮してくれるようになり、自分たちが留守で、わたし一人が留守番している時にはお坊さんに来ないように「留守だ」と連絡してくれたりもした。(それでも来られて、しきたりなどわからず、慌てふためいたことはあったけど)
 結局、両親は、バプテスマを受ける前に、寺にあった墓を処分してくれた。

 もちろん、偶像崇拝を拒否するに当たっては、色々と難しいこともあるだろう。
立場によってはそう強硬な態度をとれないこともあるだろう。
日本ではまだまだ「嫁」の立場は弱い。
一番良いのは、ご主人が救われてクリスチャンになり、ご主人がはっきりとした態度を取ってくれることだと思うけれど…。それでも長男であったりすると、なかなか難しい場合もあるだろう。
親戚の手前だとかなんだとか…。
 また、会社などの場でも、難しいことだろうと思う。わたしが知っているビジネスマンの方も、降格覚悟で祈りに祈って闘っておられた。

それでも、とわたしは思う。
「多くの日本のクリスチャンが何故この問題でもっと闘おうとしないのだろう」と、もどかしく思うことがある。
周囲との和を考えるのも大切なことだと思うけれど、少なくともわたしは、主が何よりも嫌われる偶像崇拝について、妥協することは出来なかった。

わたしが来たのは
地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。
わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、
剣をもたらすために来たのです。
なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、
嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
さらに、家族の者がその人の敵となります。
わたしよりも父や母を愛する者は、
わたしにふさわしい者ではありません。
また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、
わたしにふさわしい者ではありません。
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、
わたしにふさわしい者ではありません。
マタイ10:34~38

主は、義なるお方だ。
気をつけないと、わたしたちはついつい、神様の愛なるお方、という面ばかりに目を向けてしまいがちになる。
しかし、主は義なるお方、裁き主でもあられる方なのだ。
また別の箇所には

あなたはほかの神を拝んではならないからである。
その名がねたみである主は、ねたむ神であるから。
出エジプト34:14

とある。何よりも偶像崇拝を嫌われる主であると、わたしは信じている。
人に愛を表すことと妥協することは別物だと、わたしは確信している。
わたしも、墓参りや、初詣の車での送迎は何度もしてきた。いや、墓のそばまで行ったこともある。
それでも、拝むことだけは決してしなかった。

 墓の中に、骨はあっても、そこに死者の魂はない。
もちろん、仏教徒はそうは思っていないだろう。仏教徒でなくても、日本人は漠然とそこに死者の「何か」が宿っていると考えるだろう。
でも、わたしたちは、クリスチャンなのだから、そう思えなくても当然だと思う。
わたしたちクリスチャンの歩みは、世と調和しないもの、と言い切ってしまうと御幣があるだろうが、必ずしも、すべての面で調和することはできない。

しかし、杓子定規に「それは罪だ!」と糾弾することは御心でないと思う。
人それぞれに、辛い思いをし、祈りつつ、その場その場で最善を選択しておられるのだということは、十分理解できる。
まずは、クリスチャンが、もっともっと増えて、市民権を得られるように、より多くの人がイエス・キリストを信じ救われるように祈る必要がある、ということだろう。

 いずれにしても、クリスチャンの、異教との関わりは、複雑だ。
墓参りは、明らかに仏式行事の一環で「偶像崇拝」と位置づけることが出来るが、では盆踊りはどうなのか?
他サイトでもこの話題でひとしきり沸いたけれど、非常に難しい。
元々は、信仰から出ていることは確かだ。しかし現在ほとんどの人はそこに「念仏踊り」の面影を見ない。単なる地域の夏祭り程度の感覚しかないだろう。
でも、「だから盆踊りはOK」なのか?
わたしは、なんとも言いかねる。
が、少なくともわたしは出かけない。多分子供にも行かせないだろう。
前に日記にも書いたと思うけれど、雛祭りも七夕も、子供には教えていない。
ある先生は、「鯉のぼりはOK」と言っておられた。偶像性が低い、と…。
しかし、3月3日、5月5日、7月7日という暦そのものが、節会に基づくものである限り、その節句を祝うのはどうだろう…?
 しかし、一方で、これらのことを、既に信仰心はそこになく、単なる季節の風物詩としてとらえる人もいる。伝道者であっても…。
ただ、わたしは、偶像問題に非常に厳しい教会で育ったため、どうも、その辺に対する厳格さから抜けきれない。
 これらの問題を、人に押し付けるつもりはないけれど、わたし自身は、どこまでも、こういうものに敏感であり続けたいと思っている。
 しかし反面、そういうものを見たり触れたりする一切のことがいけないのか、と言うとその辺は割りに柔軟だったりする。
 崇拝行為はしない、自分ではお祭り(お祀り)しない。しかし、お祭の屋台でたこ焼きを買って食べることがいけないとは思わない。国宝である神社仏閣を見に行くことが罪だとは思わない。証しという点では微妙だけれど、躓く人への配慮があるなら、それ自体を禁止するほどのことはないだろう。
けれども、お祭の屋台でたこ焼き(別にりんご飴でもおでんでも何でもいいのだけど)を買うことで、「お祭に参加していた」とみなされるなら、わたしはしたくない。
ああ、しかししかし、祇園祭の鉾の巡行を見ることが罪なのだろうか?天神祭りの船渡御を見るのが罪なのだろうか?信仰心のない観光客だって、外国人だって喜んで見ているではないか? その祭を「見に」行くことは、参加することなのか?
 こうやって考えてみると、何が信仰で、何が文化なのか、日本という国の中で、どう神様に従っていくのか、非常に難しい問題だと感じる。

 今、神学的に「コンテキスチャライゼーション」日本語で言えば「文脈化」もっと簡単に言えば「土着化」ということが言われている。
 かつては、キリスト教は欧米から来た宗教であり、教会では、文化・習慣も、欧米的なものがどんどん歓迎された。むしろ日本的なものを排除する傾向があったと思う。
 しかし、その中でも、元旦礼拝、大晦日礼拝、成人式、子供の日や七五三の時期に児童祝福式、婚約式、(葬儀の)前夜式などなど、多くの日本的な習慣が教会に取り入れられてきた。
 キリスト教と異教との関わり、ということを言い出すなら、クリスマスは最も顕著な例だろう。
 クリスマスは、元々、明らかに異教の祭であった。しかし、そこに、明確なキリスト教的意義付けがなされ、見事にキリスト教化されていった。

 偶像や、異教の問題について、ひとつの結論を出すのは非常に難しい。
 しかし、わたしたちの信じる全知全能の創造主が、偶像を忌み嫌われる神であることに間違いはない。
 そういう意味で、わたしたちは、何が偶像で、何が習慣なのか、よくよく見極め、祈る必要があるのではないだろうか。
 また、辛い思いで偶像崇拝を強要される人が一人でも少なくなるように、祈っていきたいと思う。

追記
夫が、自分のサイトの掲示板にも盆行事関係の書込みがあったことを受けて、わたしのことを書いてくれた。
以下に、その前文を夫の許可のもとに転載しておきます。(一部若干の修正あり)

 私は、仏式行事を無難にやり過ごすことも選択の1つだと思います。
 皆さんもご承知でしょうが私の家内は、落語家の娘です。その落語家の娘がクリスチャンになりました。そして、彼女(墓参りは一切しないなど)は戦いました。
 落語の創生を御存知の方はいらっしゃると思いますが、元々は落語は仏教の説法から生まれたものです。そして、興行として落語をはじめた場所は、北野天満宮であります。となると、落語家にとって如何に仏教や神道の関わりが深いかが想像できます。そんな中彼女は戦ったのです。
 信仰をもって初期の頃は、母親からの激しい反対がありました。
 父親はこのことに関して言葉は少なかったようですが、実際はあまり喜ばしいこととは考えていなかったようです。彼女が結婚するかなり前の頃、彼女は父親に勧めたようです。[キリスト信仰を持つ]ことを。その時は「お父さんはなられへん」答えたということです。この時にはお寺に家の墓(仏式)を所有しておりました。
そして結婚してから暫くして、同じようことを家内は尋ねました。すると「お父さんまだ分からん」と答えが変化しました。
その後、彼女の父親は、病気をして奇跡的に癒されることがあり、祈りはじめました。そしてこの病を機に上方落語協会会長を退き、それ以後は対外的な代表焼香や、葬儀委員長を務めることもほぼなくなったことが切っ掛けになったのか、突然「教会に行く」と家族に告白され、それから数ヶ月後「洗礼を受けたい」と私に申し出られました。これに伴い、自主的に墓を処分し、2003年10月26日にバプテスマ式へと導かれたのです。
 今は、キリスト教式の墓を建てることが目標となっています。
 さて、この話を聞いて、もちろん賛美両論あると思います。
 しかし、申し上げておきたいことは、戦うというということを選択した妻が最後に見たものは、神様からの思いかげない祝福であったことは確かであります。そして、家内に限らず、このような経験をされた聖徒は確かに存在するという事です。
 偶像崇拝禁止は聖書の教えなれども、愛の神だからゆるされるといってといって妥協することも道でしょう。
 しかし、私たちは忘れてはなりません旧約聖書を…。
 なぜ預言者が立てられたのですか?
それは、神が愛の神であると同時に義の神様、裁きの神様でもあることを民に知らしめる為ではなかったでしょうか?
王ソロモンが栄華を極めた時のイスラエル、その後は国は2つに分かれました。なぜ分裂しましたか?
その後分かれた2つの王国ユダとイスラエルはなぜ滅んだのでしょうか?
ユダヤの民が離散し捕囚として引いていかれた理由は何であったのですか?
 これらのことを胆に命じるなら、神の御心は何であるか理解出来ると思います。
その上であなたは何を選択するのか?その選択に応じて人は蒔いたものを刈り取るようになるのです。

 わたし自身、偶像問題に断固として立った結果、神様は大いなる祝福を下さった。
 両親の救いとバプテスマ…。
わたしが、一貫して、偶像崇拝を拒否するという態度を取り続けて、結果的に良かったと思うのはこの故である…。
 もちろん、こうすれば家族が救われる、というものではない。しかし、人は蒔いたものを刈り取る、ということは、聖書の一貫した原則だと思う。
 わたしは、多くの人は救いに導けないかもしれない。しかし、この両親にイエス様を紹介できたことは、この上ない恵みであったと感謝している。
 夫の書いたことを一点だけ補足するなら、偶像崇拝は、旧約聖書だけでなく、新約聖書でも厳しく戒められている。(Ⅰコリント10章など)
 もちろん、誰が闘っていて誰が闘っていない、などと、個人的に人を裁けるものなどいない。裁かれるのはただ神様だ。
だからこそ、それぞれのクリスチャンが、自分に出来る精一杯を勝利の栄冠目指して戦い抜いて欲しいと祈るばかりである。
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by s_soranotori | 2004-08-17 00:00 | 信仰・証し