あんな事、こんな事、日々思う事、etc. …徒然なるままに…。


by s_soranotori
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≪ヴィジョン≫

 昨年、最初に教会でメッセージさせていただいたのは1月22日でした。
その時、キング牧師の「I have a dream.」という言葉を引用しました。
一昨年の秋ごろから、一つのヴィジョンを持つようになりました。
キング牧師が最期まで見続けたのと同じヴィジョンを…。
いつの日か、国籍も、人種も、職業も、すべての隔てが取り除かれ、すべての国民が一つになって礼拝する日が来ることを。

 これは、エキュメニカル的な意味(すべての宗派が一つになるとか)ではなく、ただ、キリストにある民が同じ心で礼拝する、公同の教会として礼拝する、と言うような意味です。
ことばで表現するのは難しいのですが。
 そして、これは天国で実現するのではなく、今生きているわたしたちが現実のこととしてその光景を見るのだと…。

 昨年、近畿宣教会議に出席させていただいたり、近放伝での活動に参加させていただいたり、また、草津ちいロバ会のミーティングに参加させていただいたりして、グッと世界が広がりました。
また、幾つかの出会いを通しても、本当に自分の世界が広がりました。
実際に教団教派を超えた交流をさせていただく中で、みなさんがそれぞれに、真剣に、熱く主に仕えておられる姿を拝見し、感動しました。

 わたしは、「地方教会(いわゆる目に見える教会)」を非常に大切にする教会(群れ)で(クリスチャンとして)育ちました。今でも、「地方教会」は大切だと思っています。
けれども、自分自身が様々な超教派の集会に参加することで、「公同の教会」の素晴らしさも昨年、大いに味わわせていただきました。
これは大きな恵みであったと思います。

 昨年のクリスマス(12月17日)に、京都の教会でクリスマスコンサート礼拝のご奉仕をさせていただきました。とても素晴らしい集会でしたが、わたしにとっては緊張する時でもありました。その翌週、自分達の教会で、クリスマスを迎えたときに、「ここは『我が家』だな」と感じました。
我が家はとても大切です。
その一方で、神様の国、全体を見ることも必要だと感じさせられています。
「神様の御国の為に働いている」そんな思いを、昨年は実感として感じられるようになりました。
今年も、我が家(ホームチャーチ)を守り、また我が家の家族が増し加えられることを願いつつ、我が家を含めた、広い意味での神様の御国の拡大のためにベストを尽くして生きたいと願っています。
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by s_soranotori | 2007-01-05 09:31 | 信仰・雑感

≪応答≫

 ブログを幾つか持っている。掲示板も持っている。
そんな中で、コメントを書いていただいたり、書込みしていただいたりするととても嬉しい。
コメントや書き込みはなくてもよい、と思いながら運営しているつもりだけれど、やはり反応、応答があると嬉しい。
反対に、書いても書いてもコメントや書込みがないとちょっと淋しかったりする。

 ある時、ふと「神様も同じかなあ」と思った。
神様は反応を「必要」とはしておられない。
けれども、わたしたちがその語りかけに耳を傾ける時、反応し、行動することを喜ばれるのではないか、そんなことを感じていた。

 今年、いただいた年賀状を見ていてもうひとつ別のことを感じた。
ある友達はいつも、わたしのHPを見てくれている。
そして、書き込みはしないけれど、わたしたちの事を覚えて、祝福を祈り続けてくれている。
祈られて、支えられていることを、心から感謝している。
わたしたちは、わたしたちの知らないところで祈られていることに、どれほど支えられていることか、と思う。

 わたしはついつい、「書き込み」「コメント」と言う目に見える反応を求めてしまうけれど、目に見えない応答=「背後での祈り」という応答をしてくれている友人もいる。
それもまた、貴重なことなのだ、と感じた。

 見えるところに捉われないで、わたしはわたしに委ねられたことをしていこう。
わたしはわたしに求められている「応答」をしていこう。

ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
ヨハネの福音書21:21,22

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by s_soranotori | 2007-01-05 09:29 | 信仰・雑感

≪自己分析≫

 わたしは、自分で自分の事を「嫌な性格だな~」と思う事があります。
典型的に、自分に甘く他人に厳しいのです。
すごくいい加減で大雑把なくせに、他の人がいい加減であることをゆるせなかったりします。
だから、ついこまごまと、人の揚げ足を取ってしまったりします。
特に言葉の使い方に関してはすごくうるさいです。

 また、グイド(夫)にはよく、「デジタル人間」と言われます。
わたしの母もそうなのですが、グイドは「アナログ人間です」
人のことばや行動を感覚的に捉えます。
 独身時代、よく言ったのは、母は言葉を「意味」として聞く、ということ。
わたしや父は言葉を、一旦「記号」として受け取った後、「解釈」するのですが、母は、初めから「解釈して聞く」と言うのでしょうか。言い換えれば受け止め方が非常に主観的です。わたしや父は、なるべく客観的に聞こうとする為に、まず相手が言った言葉をできるだけそのまま聞き、記憶し、それから解釈します。
ですから、独身時代はよく母ともめました。
母が「○○さんがこう言っていた」と言った時に、わたしが「そんなことは言っていなかった、こうこうこういうふうに言っていた」と言うと、母は「イヤ、その意味はこういうことやねん」と反論してきます。
「わたしにはそうは聞こえなかったけれども」と思うときでも、母の主観は絶対です。
 グイドも、どちらかと言うと、母のような受け止め方をするので、わたしの解釈とずれる事があると、時々言い争いになってしまいます。
 逆にわたしは、自分自身のことばが、自分自身の意図したように伝わらないことに対して、ものすごく憤りを感じてしまう事があって、ムキになって説明してしまう事があります。特に書く時はニュアンスを伝えることが難しいので、文章が長くなってしまう傾向が強いのです。

 別の一面では、いつも自信がなくて、ビクビクしています。
だから自分が知っていることやできることはかえって前に出て言ってしまったり、やってしまったりします。いわゆる「でしゃばり」と言うのでしょうか…。
だから、ある人はわたしの事を「いつも自信があって堂々としている」と思っておられたりします。良く思わない人は「自信満々」「でしゃばり」と思っておられると思います。
でも、本当は、自信のなさの裏返しなんだと、自分では思っています。
 また、これと通じるところで「人に認めてもらいたい欲」があるので、ついつい、自分が知っていることなどをひけらかす傾向があります。

 あー、よくもこんな嫌な女を、グイドは妻にしてくれたものだと思います。

 以前にも書いた事があるかもしれませんが、中学時代、自分が友達にどう思われていると思うか、と言うアンケートで、「はじめはよいけれど、だんだんイヤになってくるタイプ」というようなことを書いた記憶があります。
今でも、なんとなく、自分に対してそんなイメージをもってしまう事があります。

 今年はこんな自分の性格を、少しでも改善したいものです。
今年のテーマは「謙遜」です。
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by s_soranotori | 2007-01-05 09:29 | 雑感